【9月13日 AFP】13日に死去が発表された映画監督ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)氏は、フランスで誕生した映画運動「ヌーベルバーグ(Nouvelle Vague)」をけん引した反逆精神にあふれた旗手で、1960年代に次々と話題作を発表し、映画界のルールを書き換えた。

『勝手にしやがれ(Breathless)』(1960年)から、フランス各地で学生たちが大規模な反体制デモを行った68年の五月革命の間、技術的な革新をもたらして映画界を揺さぶった。

 同時に2作品を手掛けることもあり、テーマは犯罪から政治、売春に及び、創造性に満ちたエネルギーは2世代にわたる映画監督に刺激を与えた。

「物語には始まりと中盤、終わりがあるべきだが、必ずしもその順序に従う必要はない」といった、ゴダール氏の機知に富んだ名言は、ロバート・アルトマン(Robert Altman)氏やマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)氏、クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)氏、ポール・トーマス・アンダーソン(Paul Thomas Anderson)氏らの有名監督の指針となった。

 商業映画からは一時離れていたが、1979年に復帰した。しかし、新味は失われ、批評家からは、言葉が省略され過ぎて曖昧過ぎる、作品に女性差別主義が反映されているとの批判を受けたこともあった。

 イタリア船籍のクルーズ客船上で撮影された2009年の『ゴダール・ソシアリスム(Film Socialisme)』では、資本主義の行き詰まりを予測。客船が3年後に座礁した際には、門弟以外からも洞察力を評価する声が上がった。

 ゴダール氏はパリで1930年12月3日、フランスとスイス出身の両親の裕福な家庭に生まれた。第2次世界大戦(World War II)中は、幸運にも中立国のスイスで過ごし、ソルボンヌ大学(Sorbonne University)で民族学を学ぶために1949年にパリに戻った。

 実際の教育はパリの小さな映画館で受けたようなもので、フランソワ・トリュフォー(Francois Truffaut)氏やジャック・リヴェット(Jacques Rivette)氏ら将来の映画界の巨匠と知り合った。

 米国のアクション映画のファンになり、仮名で雑誌に映画批評を執筆した。米国で最初の映画制作の試みが頓挫した後、スイスのダム建設に従事し、資金を確保して1954年の『コンクリート作業(Operation Concrete)』の制作につなげた。

 映画界でのキャリアは、当初から論争の的になった。アルジェリア戦争を題材にした1960年の『小さな兵隊(Le Petit Soldat)』は、フランス当局に3年間にわたって上映が禁じられたほか、64年の『恋人のいる時間(A Married Woman)』は、浮気性のヒロインが典型的なフランス人妻と見なされることが懸念され、検閲によってタイトルが変更された。

 2011年には、英紙ガーディアン(Guardian)のインタビューに応じ、「映画は終わりだ」との見方を示し、「携帯電話の登場により、今は全ての人が監督になった」と語った。(c)AFP/Fiachra GIBBONS