【6月5日 AFP】旧ソ連時代の1986年に史上最悪の原発事故を起こし、今は石棺に覆われているウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ、Chernobyl)原子力発電所。国際的な専門家によって厳格に監視され、大勢のウクライナ人労働者によって綿々と維持されてきた。

 2月24日、夜勤シフトの作業員100人以上はいつも通りに出勤し、業務に当たっていた。その数時間後、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、作業員たちは原発内から身動きできなくなってしまった。

 その後、ロシア軍は原発を数週間にわたって占拠。その間、監視下に置かれ作業員は不安を感じながら日々の作業を続けた。

 夜勤の現場監督オレクシー・シェレスティ(Oleksiy Shelestiy)さんはAFPに「われわれは心の準備ができていなかった」とし、作業を続けるしかなかったと話した。「ひたすら自分の仕事をこなし、何も起きないよう、すべてのパラメーターをコントロールしようとしました」

 ロシア軍の占拠下で最も恐ろしかったのは、3月9日、近隣での戦闘の影響で原発が停電したときだという。ベラルーシの送電網を経由して電力を供給できるようになるまで、最初はディーゼル燃料に、その後はロシア軍から供給される燃料に頼った。

「精神的、感情的につらかった」とシェレスティさん。ほとんどの時間、自分の持ち場にとどまることを強いられ、ロシア軍兵士らとの交流はほとんどなかったと振り返る。

 ロシア軍が首都キーウとチョルノービリから撤退する数日前、交渉を通じてシェレスティさんは自由の身となった。「彼ら(ロシア軍)は私を解放したいと言っていたが、何から解放しようというのだろうか?」

「(私には)全く理解できない」 (c)AFP/David STOUT