【5月28日 AFP】旧チェコスロバキアの空挺(くうてい)部隊がホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)の立案に携わったナチス・ドイツ(Nazi)の高官ラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich)を暗殺して80年を記念する行事が27日、チェコの首都プラハで行われた。式典ではウクライナ紛争に言及する演説が多かった。

 スロバキアのヤロスラウ・ナジ(Jaroslav Nad)国防相は、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領がウクライナ侵攻を開始する際に使用したのと全く同じ表現を使い、ハイドリヒの暗殺はチェコスロバキアを「非ナチ化するための特別軍事作戦」だったと述べた。

 さらに「プーチン氏はまるで1930年代のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)のようなのに、ウクライナを非ナチ化する特別軍事作戦を実施するとよくも言えたものだ」と非難。

「(ハイドリヒが殺害された後に)リディツェ(Lidice)、レジャーキ(Lezaky)、ボヘミア(Bohemia)全域で大勢のチェコ人が亡くなったように、ウクライナで今、罪のない人々が大勢亡くなっている」と続けた。

 ハイドリヒを暗殺した空挺部隊は英国で訓練を受けていたことから、リズ・トラス(Liz Truss)英外相も式典に出席。「隊員たちの勇気と、私たちの自由のために戦ってくれた彼らへの恩義は今も人々の心に強く響いている」と述べた。

 さらに「ウクライナが勝利して主権を回復し、ロシアを敗北させ封じ込められるように、私たちはあらゆる手段を講じなければならない」として、「今日の状況は80年前とは全く異なるが、自由のためにすべてをささげた人々から学ぶべきだ」と述べた。

 空挺部隊は1942年5月27日、プラハで車に乗っていたハイドリヒを銃と爆弾で襲撃。ハイドリヒは、その時のけがが元で数日後に死亡し、部隊はナチスとの銃撃戦の末に自決した。

 ナチスは報復として、リディツェ村とレジャーキ村を壊滅させ、1万5000人を拘束。殺害または強制収容所に送り込んだ。(c)AFP