「誰も見えなかった。どこから撃ってきたのか、最後までわからなかった。ただ銃声が聞こえて、彼が倒れるのが見えた。私は脇道に入って逃げた」

 AFPの取材に応じた住民は、ロシア軍による占拠中に多数の方向からの銃撃を見たり聞いたりしたと証言しており、人々の殺害には複数人が関与していたとみられる。

 イルピン(Irpin)に続くヤブルンスカ通りには、ブチャを占領したロシア軍の前哨部隊が陣取っていたが、住民は当初それに気付いていなかった。ブチャ警察幹部のビタリー・ロバス(Vitaly Lobas)氏によると、ロシア軍は「陣を構え、動くものや近づく人すべてに発砲した。銅像まで撃っていた」という。

 ロマニュクさんの遺体は28日間にわたり道路に放置され、収容されたのはブチャ解放後の4月3日のことだった。死亡診断書には、弾丸の貫通による頭部外傷があると記載され、死因は「殺意を伴う自動小銃による傷害」とされた。

 ロマニュクさんはブチャで暮らす建設作業員だった。義理の妹のビクトリア・バトゥラ(Viktoria Vatura)さん(48)は「歌うことが好きな陽気な人で、ちょっとした酒飲みだった」とAFPに語った。「人生を愛し、誰も傷つけたことのない、素朴な人だった」 (c)AFP/Daphne Rousseau and Joshua Melvin