【4月10日 AFP】英植民地時代、インド亜大陸南端に近いチェティナード(Chettinad)地方にある数千もの邸宅には、この国で最も裕福な銀行家や貿易業者らが住んでいた。だが1世紀を経た今、その大半は放棄され、荒れ果てた屋敷の跡が失われた富の大きさを無言で物語っている。

 ここに住んでいた豪商らは、マレーシアやシンガポールにまで広がる巨大な企業帝国を行き交い、貴重な宝石や香辛料を取引して財を成した。築かれた富の多くは、漆喰(しっくい)の像や色鮮やかなガラス窓などで飾り立てた華麗な屋敷につぎ込まれた。

 歴史家によると、シャンデリアはイタリア・ベネチア(Venice)から、マホガニーの額縁に収められた大きな鏡はベルギーから、釉薬(うわぐすり)が施されたタイルは英バーミンガム(Birmingham)から取り寄せていたという。

「当時は、チェティア(南インドの商業カースト集団)の間で最も美しい建物を造ろうという競争があり、兄弟やいとこ同士でも競っていました」と、この地方に住むフランス人建築家ベルナール・ドラゴン(Bernard Dragon)氏はAFPに語った。

 しかし、チェティナード地方に建てられた約1万1000軒の豪邸にとって、時の流れは残酷だった。多くは朽ち、草木で覆われ、現在の所有者は維持費を調達できなかったり、地権争いに巻き込まれたりしている。

「保存状態が心配です」と言うドラゴン氏は、屋敷の一つをブティックホテルとして利用できるよう改装した。

 タミル商人のカースト集団に属するチェティナード地方の住民は、人脈を生かして広範囲での金融業や土地保有に力を入れた。彼らは茶やコーヒー、ゴムなどの市場と資金を求めていた英国の貿易商らと、ビジネス上の提携関係にあった。

 しかし、第2次世界大戦(World War II)後、インドの富豪らの保有資産は混乱のさなかに放り込まれた。この地方では独立運動が勢いを増し、国内は社会主義的な経済政策の下で貸金業や外国貿易への規制が強化された。