【7月29日 AFP】今から40年前の1981年7月29日、英国のチャールズ皇太子(Prince Charles)とダイアナ元妃(Princess Diana)のおとぎ話のような結婚は、英王室にかつてない魅力をもたらすように思えた。

 しかし実際には、この結婚は英王室史上、最も不穏な時期の一つの始まりを告げるものだった。

 王位継承権第1位の32歳と無垢(むく)な19歳の結婚は、その年にロンドン南部のブリクストン(Brixton)とリバプールのトックステス(Toxteth)で起きた暴動や、250万人に上っていた失業者のことを、英国民の脳裏からほとんど消し去った。

 結婚式が行われたロンドンのセントポール大聖堂(St Paul's Cathedral)には、3500人の招待客が出席。約7.5メートルものトレーン(引き裾)のある象牙色の琥珀(こはく)織りのウエディングドレスを身にまとい、馬車から降りる新婦の姿を見ようと、約7億5000万人がテレビの前に集まった。

 相思相愛だと思われていた2人を乗せてロンドン市内を走る馬車を、そしてバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)のバルコニーで2人が交わし有名になったあのキスを見ようと、約60万人が街に繰り出した。屋外で徹夜で待ち続けた人たちもいた。

 当時のヘアサロンは「ダイアナカット」を客に勧めた。そして、今でもロイヤルカップルの写真をプリントした記念マグカップを持っている英国民は多いはずだ。

 英王室史家のヒューゴ・ビッカーズ(Hugo Vickers)氏は、「英王室にとって一つの絶頂期だった。あれほど華やかなことはエリザベス(女王 Queen Elizabeth II)やマーガレット(Princess Margaret、エリザベス女王の妹)が若かったころ以来、長い間なかった。ダイアナは(いずれも女優の)グレイス・ケリー(Grace Kelly)やエリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)のようなアイコンだった」と語る。

 夫妻の間には長男ウィリアム王子(Prince William)と次男ヘンリー王子(Prince Harry)が生まれた。

 しかし、幸せな結婚生活は5年も続かなかった。夫婦関係はとげとげしさを増し、そして不貞、スキャンダラスな電話の通話内容のリーク、ダイアナ妃の過食症や自殺未遂が報じられ、英国民が2人に託していた夢は消え去った。

「チャールズはロンドンでただ一人、プリンセス・オブ・ウェールズ(ダイアナ元妃の称号)を愛していない男だった」(ビッカーズ氏)

 2人の称号から「ウェールズの闘い」とも呼ばれた不和は、エリザベス女王が「災厄の年」と呼んだ1992年に別居という形で頂点を迎え、1996年、2人は離婚した。

 しかし、不幸はそれで終わりではなかった。1997年、フランス・パリでの自動車事故でダイアナ元妃が死亡。英国全体が深い悲しみに包まれた。一方、元妃の話題から距離を置き、あいまいな態度を取っていたとみられたエリザベス女王は薄情だと批判され、英王室の命脈は尽きるかに思われた。

 ビッカーズ氏は「ダイアナ元妃が死んだ時は大変なショックだった。王室はより親しみやすく、より大衆的に、よりカジュアルにならざるを得なかった。ダイアナがそれを好み、国民もそれを好んだからだ。国民は彼女の公務のやり方が好きだった」と語る。

 チャールズ皇太子はその後、ダイアナ元妃との結婚生活を破綻させた張本人と言われることも多いカミラ夫人(Camilla, Duchess of Cornwall)と再婚。ビッカーズ氏は、国民の心の中でカミラ夫人はダイアナ元妃に代わる存在になりきれていないと指摘した。(c)AFP