■環境のシンポジウムで「ビビビと来ました」

 平田氏は自身の功績については控えめで、地域レベルでの取り組みを引き合いに出し、さらなる努力の必要性を強調した。

 気候ネットワークの活動は「現場での一定のブレーキになったかもしれない」が、石炭火力の割合はむしろ増えているとして、「大きな意味でいうと、まだまだチャレンジというか、戦いは勝ちに届かない。(中略)もっと効果のあることを残してこなきゃいけなかった」と続けた。

 平田氏は、成人してから気候変動対策にひたむきに取り組んできたが、子ども時代は環境問題には特に関心がなかったという。

 20歳の時に大学で開かれた環境問題に関するシンポジウムで話を聴き、「若い頃の感性がビビビと来ました」と振り返る。

「のんきに罪悪感もなく生きている私たちの日々が、もしかしたら(地球に対して)悪いことをしているということのショックは、ほかのどの問題よりも衝撃だったんです」

 アル・ゴア(Al Gore)元米副大統領の著書「地球の掟(Earth in the Balance)」を読むなど、環境への関心を高めていたが、最初に就職したのは出版社だった。

 その後、環境への関心を自分のキャリアに結び付けるため、米国の気候NGOでインターンとして働くことを決意する。いちかばちかだったが、当時はインターネットへのアクセスが限られていたこともあり、地元の図書館で米国NGO名鑑をめくり、目指すべき組織を選んだ。