■踏み荒らされたシナゴーグ

 しかし、それ以降はシメントフさんにとって苦しい時期が続く。中でも1996年から2001年まで続いたタリバン政権下では、イスラム教への改宗を迫られたと言って憤る。「恥ずべきタリバン政権は、私を4回も刑務所にぶち込みました」

 あるとき、タリバン要員がシナゴーグを捜索し、祭壇が置かれた白塗りの会堂を荒らしてった。彼らはヘブライ語の書物を破り、燭(しょく)台を壊し、古くから伝わる聖典を持ち去った。

 シメントフさんは怒りを込めて振り返る。「タリバンは、ここはイスラム首長国だから、ユダヤ人には権利はないと言いました」

 それでも、彼は去ることを拒んだ。「私は抵抗しました。この場所で、モーゼ(Moses)の宗教(ユダヤ教)の誇りを示しました」と語り、シナゴーグの床に口づけした。

 彼は今でもこの会堂でユダヤ暦の新年「ロシュ・ハシャナ(Rosh Hashanah)」と最も神聖な日「ヨム・キプール(Yom Kippur)」を祝う。時には、イスラム教徒の友人も交えて。

■消えた望み

「もし自分がいなかったら、このシナゴーグも10回、20回と売り払われていたでしょう」と話すシメントフさんは、知人や縁者からの支援に頼りつつ、シナゴーグ隣の宿舎の自室でガスコンロを使い自炊している。

 テーブルの上には数冊の本と、娘たちの古びた写真が置かれている。

 2001年にタリバンが追放されたときには「ヨーロッパ人やアメリカ人が、この国を直してくれると思いましたが」とシメントフさん。「そうはなりませんでした」

 隣人はシメントフさんとの別れを惜しむ。シナゴーグ前で食料雑貨店を営むシャキール・アジジ(Shakir Azizi)さんは「彼はいい人です。20年もうちの客ですし。いなくなると寂しくなります」と語る。

 しかし「タリバンは21年前と何も変わっていない」と断言するシメントフさんの決意は固い。「アフガニスタンに失望しました。もうここに暮らしはありません」 (c)AFP/Jay Deshmukh and Usman Sharifi