■神話化

 ビンラディン容疑者の死後、イスラム過激派の勢力図は変容し、最高位の組織はアルカイダから「イスラム国(IS)」になった。イスラム国は全盛期にはイラクとシリアの広大な領域を支配した。

 手を結ぶことのなかったこの二大グループはやがて激しく敵対し、シリアの戦場やアフリカのサヘル(Sahel)地域で交戦した。ただし、ビンラディン容疑者はこの亀裂が起きる前に死んだため、そのレガシーは無傷なのである。

 イスラム過激主義の研究者アーロン・ゼリン(Aaron Zelin)氏は、「ビンラディン容疑者は今でもIS幹部たちに好意的にみられている」と語る。「ある面では、ISは自らをビンラディンのやり方の真の後継者とみている」

 過激派勢力のビデオやその他コンテンツを分析するサイトの運営者でもある同氏は、アルカイダの後継指導者で国際的注目度がかなり低いエジプト出身のアイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)容疑者とは対照的だと指摘する。

 時間とともにビンラディン容疑者は神話化している。実際に面識があったと考えられる過激派のメンバーも、今や数少ない。

「多くの者にとって、ビンラディン容疑者は過去の人物であり、現在の関心事とは関連がない」と指摘するのは、「Global Jihad: A Brief History(世界規模の聖戦:略史)」の作者、グレン・ロビンソン(Glenn Robinson)氏だ。

 また、ビンラディン容疑者の戦略はジハーディストの間でも賛否両論ある。特に米国への攻撃は、過激派の一部から逆効果だったとみられている。

「重大な戦略的失敗だったと、今でも広くみられている。この戦略を今でも踏襲するジハーディストが皆無に近いことでも明らかだ。大多数は最初から踏襲さえしなかった」とロビンソン氏は指摘する。