【5月1日 AFP】国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)創始者のウサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)容疑者が、米軍特殊部隊に居場所を特定され殺害されてから2日で10年となるが、その威光はいまだ衰えず、分極化したイスラム過激派勢力を一様に駆り立てることができる。

 殺害の数時間後、ビンラディン容疑者の遺体は米空母の甲板からアラビア海(Arabian Sea)に水葬された。これは、ある特定の聖地をつくらないことを目的としたものだったが、ジハード(聖戦)を掲げる多くの過激派にとっては、変わらぬ模範であり象徴であり続けている。

 サウジアラビア出身の同容疑者は、プロパガンダの重要性を見抜いていた。事実、死後も自らのカリスマ的なイメージを長らく広めることにこれが寄与している。実際に戦闘を指揮することはまれだったが、映像ではアサルトライフルを常に脇に置いていた。

「ウサマ・ビンラディンは献身的な信奉者を集めるため、入念に表向きの顔をつくり上げた」と米シンクタンク、アメリカンエンタープライズ公共政策研究所(American Enterprise Institute)のキャサリン・ジマーマン(Katherine Zimmerman)研究員は語る。「伝統的な衣装を着た敬けんなイスラム教徒だが、常に手元にAK-74銃を置き、たびたび迷彩柄のジャケットで登場する──精神的にも軍事的にもジハードの指導者であると示すイメージがつくられた」

■「勝てない戦い」

 ビンラディン容疑者が表向きの顔づくりをしたことは、特に戦闘員を集める上で有利に働いたと、米リスクコンサルタンティング会社ソウファン・センター(Soufan Center)のコリン・クラーク(Colin Clarke)リサーチディレクターはAFPに説明する。「メディアへの露出を好み非難されることもあったが、主要な情報伝達手段を通じてアルカイダのメッセージを促進する重要性を彼は熟知していた」

 2001年9月11日、ビンラディン容疑者の指示により実行された米国への攻撃以後、欧米諸国は巨額を投じイスラム過激派の打倒を目指した。しかし、ジハーディスト(聖戦主義者)は紛れもなく20年前よりも数多く世界に広がっている。

 さらに、2001年9月の米同時多発攻撃から20年の節目までに米軍をアフガニスタンから撤収させる計画のジョー・バイデン(Joe Biden)米大統領にとって、イスラム過激派に対する最終的な勝利の宣言は不可能だ。

 ビンラディン容疑者は、ボスニアやロシア・チェチェン(Chechnya)共和国、ソマリアを含む紛争地域をイスラム過激派戦闘員の自国外での実質的な訓練場に変えた。

「彼は欧米諸国を攻撃すると脅すだけではなく、実行し成功を収めた。さらに、計画通り米国をアフガニスタンでの勝てない消耗戦に引きずり込んだ」とクラーク氏は指摘した。