【2月18日 AFP】エジプト観光・考古省は17日、先端技術を用いた研究で、約3600年前の古代エジプト王(ファラオ)の死因が処刑だったことを突き止めたと発表した。

 紀元前1600年ごろにエジプト南部を統治したセケンエンラー2世(Seqenenre Tao II)は、ナイルデルタ(Nile Delta、ナイル川下流域)一帯を支配していた西アジア起源の異民族王朝ヒクソス(Hyksos)に対し、エジプト軍を率いて戦ったことで知られる。

 1960年代に行われたX線調査で、セケンエンラー2世のミイラの頭部に傷があり、防腐処理の過程で隠されていたことが判明。戦死したか、宮殿内で暗殺されたとみられていた。

 しかし、CTスキャンに基づき3D画像を作成した結果、考古学者のザヒ・ハワス(Zahi Hawass)元考古相とカイロ大学(Cairo University)のサハル・サリム(Sahar Salim)教授(放射線学)は、セケンエンラー2世は戦場で捕虜となり、その後「処刑式」で殺害されたと結論づけた。

 観光・考古省の発表によると、CTスキャンで「これまでの調査では見つかっていなかった傷や、防腐処理によって巧みに隠された傷など、頭部の傷の詳細が明らかになった」。研究チームはこれらの傷を、首都カイロにあるエジプト考古学博物館(Egyptian Museum)収蔵の短剣、おの、やりといったヒクソスの武器と照合した。

「(ミイラは)手が変形しており、セケンエンラー2世が戦場で捕らえられた可能性を示している」と観光・考古省は説明。セケンエンラー2世は「後ろ手に縛られていて」頭部への「激しい攻撃を防ぐことができなかった」との見方を示している。

 医学誌「フロンティアーズ・オブ・メディシン(Frontiers of Medicine)」に発表されたこの研究では、骨のスキャンにより、セケンエンラー2世の死亡時の年齢が40歳前後だったことも明らかになった。

 セケンエンラー2世のミイラは19世紀後半に発見され、顔にはっきりと外傷が確認されたことから、死因の解明に向けた研究が続けられてきた。(c)AFP