■「どのみち死ぬ」

 シリア出身のダヘノーンさんは「私たちはただ改革を要求していただけだ」と話す。

 ダヘノーンさんは当時15歳で、シリアのバッシャール・アサド(Bashar al-Assad)大統領に対する初期の抗議デモに参加していた。「分裂や戦闘、内戦を呼び掛けるスローガンはなかった。それどころか、とても平和的だった」

 ダヘノーンさんはシリア反体制派の最後の拠点であるイドリブ(Idlib)から電話で「私たちは『自由、自由、自由』と声を上げていた。それ以外はなかった」とAFPに語った。

 だが、抗議デモは絶え間ない暴力にさらされた。シリア政権軍は否定しているものの、その中には使用が禁止されていた化学兵器による攻撃も時に含まれていた。

 リビア同様、悪化するシリアの状況は、影響力を強める機会をうかがうと同時に周辺地域の混乱を最小限に食い止めようとする他国の介入を招いた。「もう希望はない…シリアはもはや私たちのものではない」とダヘノーンさんは語った。

 2015年、シリア・アサド政権を支援するロシアの軍事介入により、アサド政権は反体制派の支配下にあった領土を取り戻し、現在はシリアの70%以上を制圧している。

 しかしシリアの危機的な経済は、欧米諸国の制裁によっていっそう悪化し、アサド政権は革命を支持しない人々も含めた全方面から非難されることとなった。

 シリアで最初にアラブの春のデモが起きた南部ダルアー(Daraa)の教師、アブ・ハムザ(Abu Hamza)さんはAFPの電話取材に対し、人々はアサド政権に「忠誠心を持っていない」と語った。

 3人の子どもの父親だというハムザさんは「飢えれば、恐怖を感じなくなる」と言った。「どのみち私は死ぬ。ただ、戦車に殺されるか、飢え死にするかだ」 (c)AFP/Caroline Nelly Perrot with AFP bureaus