ピアニスト郎朗の自伝がハリウッド映画に、不屈の闘志を持つ父子の執念の物語
発信地:東京
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受験に向けて、ある日、父が見つけてきたピアノ教師は郎朗のピアノを聴いて、才能がない、と言い捨て、レッスンをつけることを拒否した。このことが、貧しい生活と練習のプレッシャーでストレスをためていた父子の矛盾を爆発させるきっかけとなった。
郎国さんは息子をののしった。「先生はお前がダメだ、といい、お前もピアノを練習せず、私の言うことを聞かない。ならお前など生きている価値がない。死だけが唯一の問題解決だ、すぐ死んでしまえ、そしたら生き恥をさらすこともない!お前が死んだら、俺も死ぬ」
郎朗も「私は自分の手をうらむ。あんたを恨む。ピアノを恨む。もしピアノがなかったら、こんなこともおきなかった!ピアノはあんたを狂わせた。ピアノがあるから、あんたは私を殺そうとするんだ!すべてを恨む」と激しく言い返した。この日、郎朗は二度とピアノを弾かないと決心したという。
だがこの親子げんかは長くは続かなかった。やはり郎朗はピアノを愛していたのだった。周囲の人々の励ましの中で、親子の生活は再びピアノを取り戻した。新たなピアノ教師を探し、難関・中央音楽院付属小学校ピアノ科の入学を目指す父子の二人三脚が再開した。ただ父親は前ほどには息子にピアノの練習を強要するようなことはしなくなった。
いよいよ試験の日。郎朗は3000人以上の受験生の中で、一番の成績で中央音楽院付属小学校ピアノ科に合格したのだった。1991年のことだった。その時、郎朗は、北京に引っ越してきて以来初めて父の笑顔を見たという。
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