【5月11日 Xinhua News】中国河南省(Henan)鄭州市(Zhengzhou)文物考古研究院は7日、同省鞏義市(Gongyi)双槐樹遺跡で見つかった古国時代の都邑遺跡における段階的かつ重大な考古学研究の成果を発表した。中華文明がどこで起こり、どのように発展してきたかについては、かねてから関心が寄せられてきた。

 中国社会科学院学部委員、中国考古学会理事長の王巍(Wang Wei)氏は「双槐樹遺跡での重要な考古学的発見は、約5300年前の中華文明の起源の黄金期における河洛地区の代表性と影響力を裏付けるもので、中華文明の起源の鍵となる時期、鍵となる地域を補填(ほてん)する重要な資料だと言える。双槐樹遺跡を中心とする仰韶文化中~末期の文明が、間違いなく黄河文化の根源であることを示している」と述べた。

 黄河南岸の高台に位置する双槐樹遺跡は、伊水と洛水(らくすい)が黄河に流れ込む同省鞏義市河洛鎮にある。近年、中国社会科学院考古研究所と合同で遺跡の考古学調査を続けている同研究院は、複数の著名な考古学者による実地視察と研究・検討、論証を経て、同遺跡が今から約5300年前の古国時代の都邑遺跡であるとの結論を下した。また、遺跡が河洛の中心エリアにあることから、「河洛古国」と命名することを提案した。

 同研究院の顧万発(Gu Wangfa)院長は、記者会見で次のように説明した。河洛古国では仰韶文化中末期の3重の大型環壕や最古の甕城(おうじょう)構造を持つ外壁、閉鎖式で規則的に並んだ大型の中心住居跡、厳格な計画に基づく3カ所1700基余りの大型公共墓地および版築(はんちく)による祭祀台遺跡3カ所が見つかっている。また重要人物が住んだとみられる大型建築と融合した九つの陶罐(とうかん)で北斗九星を模した天文遺跡、シルクの起源と重要な関わりがあるイノシシの牙に彫られた最古の家蚕の彫刻、祭祀遺跡、製陶工房エリア、道路システムなどが見つかるとともに、仰韶文化期のさまざまな文化的遺物が出土した。

 北京大学教授で夏商周年代プロジェクト・チーフサイエンティストの李伯謙(Li Boqian)氏ら専門家は、双槐樹遺跡がこれまで発見された黄河流域の仰韶文化中~末期という中国文明形成の初期のものとしては、最も整い、都邑遺跡の性質を持つ中心的集落であるとし、入念な用地選定と科学的な計画を経て、複数の遺跡が同遺跡を守るように取り囲んでいたとの認識で一致している。

 一連の重要な考古学的発見は、双槐樹遺跡に代表される「中原文明の発展モデル」が、中心と文化的包摂を重視し、民生と農業・養蚕を重視することで生み出された社会的富を、適度に神霊にささげ、社会的再生産に投じられていたことを示している。同モデルの主体は後の時代の主流となる政治・社会によって継承・発揚され、中華文明の歴史プロセスにおける最も代表的でけん引性のある主流の発展モデル・思想となった。

 専門家らは、天地の中心という宇宙観や天命により天下を治めるという儀礼的思考、ハイレベルで大規模な建築、整然と並ぶ集落の配置、中国の地理的中心ならびに最古の都市群における中核的位置など、双槐樹遺跡が示す内包、特にその社会発展モデルや思想、観念は、古国時代の王都の雰囲気を表しているとし、北斗九星や礼制への重視といった多くの現象が、後の時代の夏・商・周などの王朝と文明でも継承、発揚されてきたことから、5千年以上の歴史を誇る中華文明はまさに、このような根源によって、絶えることなく続いてきたとの考えを示した。(c)Xinhua News/AFPBB News