【5月3日 AFP】新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)による2020年東京五輪の1年延期は、多数の選手に大きな痛手を与えた。しかし、2019年11月から日本で合宿を張っている南スーダンの陸上代表チームは、延期をアドバンテージに変えようと今も国内に滞在している。

 まだ国として若く、お金もない南スーダンでは、練習しようにもただの原っぱのような場所しかなく、日本にあるような施設を利用するのは難しい。そのため代表チームは、史上初となる五輪延期の知らせが届いた後も、少なくとも7月まで滞在して力を伸ばそうと考えた。

 東京五輪の延期が決まった背景には、新型コロナウイルスの影響による予選の中止や、練習制限を選手やスポーツ団体が不安視し、組織委員会や国際オリンピック委員会(IOC)への圧力が強まったからだった。

 前橋市に滞在している南スーダン代表は、女子1人、男子2人の五輪選手、男子のパラリンピック選手1人、そしてコーチ1人の計5人。市はスポーツを通じた平和促進の一環として受け入れを決め、3月下旬には、宿泊施設や食事の提供、公営トラックの貸し出し、ボランティアコーチや通訳の用意といった支援の継続を約束している。

 チームも市内の学校訪問や、地域行事への参加を通じて、2011年に独立し、現在も内戦からの復興過程にある母国の状況を伝えてきた。地元の子どもたちと一緒に練習する機会もあり、簡単な日本語も覚えた。

 母国から1万キロ以上も離れた土地で練習を続ける日々だが、選手たちは今の生活を楽しんでいるという。

 男子1500メートルに出場予定の20歳のグエム・アブラハム(Abraham Majok Matet Guem)は、「日本に来る前は、どういう人たちが暮らしているかも知らなかった」「これほど歓迎してもらえるとは思っていなかった。だからそんなに母国が恋しくない。とても落ち着いた環境で、すてきな人たちに囲まれているからね。そのことにすごく驚いたよ」と話している。

 市はふるさと納税を通じて1400万円以上を集め、代表団が7月まで滞在するのに必要な2000万円の確保に向け、募集を続けている。チームにも延期が決まってすぐ、少なくとも7月までの滞在を歓迎すると請け合った。

 市スポーツ課の萩原伸一(Shinichi Hagiwara)さんも「これからもサポートしていきたい」と話している。8月以降については南スーダンの五輪当局と日本政府、代表チームらと話し合って決めるという。

 選手たちは、温かい歓迎を受けたお返しに、いつの日か前橋の人たちを母国に招きたいと思っている。

 アブラハムは「今はみんな南スーダンへ行くのは怖いだろう。だけど近い将来、僕たちの国もすごく平和になって、誰もが自由に旅行できるようになると信じている」「あっちでも前橋の人たちに会えたら幸せだ」と話している。

 母国に母親と7人のきょうだいを残し、日本へやって来たアブラハムは、五輪での目標に向けた道のりの中では、今回の延期は小さなこぶにすぎないと話している。

「僕の夢はいつだって、陸上を引退する前に五輪でメダルを取ることだ」「これからも練習を続けて、いつかチャンピオンになりたい。そのための時間はまだある」 (c)AFP/Hiroshi HIYAMA