【1月12日 AFP】がんで右目と顎の一部を失ったブラジル人、デニス・ビセンティン(Denise Vicentin)さん(53)は鏡をのぞき込み、泣きだした。彼女はこの日、デジタル技術で成形された補綴(ほてつ、人工装具)のおかげで、新しい顔を手に入れたのだ。

 補綴の試着後、ブラジル・サンパウロ(Sao Paulo)の医院でAFPの取材に応えたビセンティンさんは「きょうは、これまでよりもずっと気分よく街を歩くことができるでしょう。言葉になりません」と話した。

 同国パウリスタ大学(Paulista University)の研究者らはスマートフォンと3Dプリンターを使ってデジタルの顔型を取り、シリコン製の補綴(ほてつ)を作っている。この製法の開発により、費用は激減し、製作期間は半分で済むようになったという。

 研究リーダーのロドリゴ・サラザール(Rodrigo Salazar)氏によると、「以前はもっと時間がかかり、手作業の塑造(そぞう)が何時間も必要で、また型を取るために患者の顔に材料を塗布する必要があり、負担が大きかった」が、「今は携帯電話の写真から立体モデルを作成している」という。

 2015年以降、サラザール氏のチームは50人以上に人工装具を作ってきた。ビセンティンさんはその一人だ。このチームは顎顔面の補綴を専門にしている。先天性、あるいは病気やけがで、顔の一部が欠損した人の治療に取り組む歯科の一分野だ。

 彼らの技法は2016年に専門誌「耳鼻咽喉学ジャーナル―頭頸部外科(Journal of Otolaryngology ― Head & Neck Surgery)」に発表された。

■人の視線を耐えて

 AFPは1年半以上をかけてビセンティンさんを取材し、肉体的、そして精神的回復の段階を記録してきた。彼女の苦難が始まったのは顔面に腫瘍ができた30年前。腫瘍は2度除去したが、20年後、悪性腫瘍が再発した。

 顔の右側が徐々に失われていくにつれ、尊厳を失い、夫も失った。「地下鉄や鉄道に乗るときは、人の視線を気にしないようにしていました」とビセンティンさんは過去を振り返る。「ボウリング場みたいな場所では、みんなに見られているように感じたし、私を見て立ち去る人さえいました」

 顎を失ったせいで、ビセンティンさんは物を食べるのにも苦労し、また言葉も明確に発音できない。娘のジェシカさんが会話の補助を担っている。

 サラザール氏の指導教官で共同研究者の一人であるルチアーノ・ディブ(Luciano Dib)氏は、ショッピングセンターで3Dプリンターを使っている人々をみて、装具製作に用いる着想を得たという。

■製作費、大幅削減

 昨年の12月初め、ビセンティンさんは完成した補綴を受け取った。顔に埋め込まれたチタン製のインプラントに磁石がくっつき、小さな卵形の補綴はぴったりはまった。

 サラザール氏によると、補綴を従来の技法で作るには最高で50万ドル(約5400万円)する機材が必要だという。同氏らの技法ではパソコンとスマートフォンがあればいい。同氏は「この技法は、先端技術を使うのに多額の投資は必要ない、ということを立証している」と話した。

 ディブ氏とサラザール氏は、2021年に顔面補綴を用いたリハビリ専門の医療センターを開設する予定だ。パウリスタ大学と両氏が設立した非営利団体「プラス・アイデンティティー(Plus Identity)」によって設立される。すでに施術希望者の順番待ちリストもあるという。

 現在は3Dプリンターで原型を作ってから、それを基にシリコンなどで完成版を製作しているが、ディブ氏は、最終的に3Dプリンターで直接シリコン製補綴の現物を作れるようにしたいと語った。「非常に近いうちに、われわれはその場で補綴を3Dプリントし、患者たちを助けることができるようになるだろう」

 ビセンティンさんの回復の道のりはまだ途中だ。顎と上唇を修復するために治療を続けなければならない。だが今は喜びにあふれている。

 補綴の受け取り後、初めて自宅で一晩過ごしたビセンティンさんは「長いこと欠けた顔を見続けていたので、とても幸せです」とAFPの取材に語った。「顔から外したのは洗浄するときだけで、装着したまま寝ました」 (c)AFP/Johannes MYBURGH