【7月11日 Xinhua News】中国四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)大邑県(Dayi)は、三国志の名将、趙雲(Zhao Yun、<字は子竜>)が晩年に守備を任された地と伝えられており、子竜祠などの三国時代の遺跡があり、独特の子竜文化を今に伝えている。

 専門家の考証によると、三国時代の大邑は蜀漢の存亡に関わる戦略的要地であり、当時の都、成都の西側を守る障壁の役目を果たした。晩年に成都の「首都警備司令官」を務めた趙雲は、病没するまでの十数年間、この地に駐留した。

 趙雲を祭る子竜祠は元の名を「漢順平侯廟」といい、後に地元の人は子竜廟、将軍廟と呼ぶようになった。正殿には金色に塗られた趙雲の塑像があり、正殿の裏には丘のような子竜墓が広がる。陵墓は山を背に築かれており、静寂かつ厳粛な雰囲気に包まれている。墓の前にはレンガと木材で建てられた大きな四合院建築があり、数百人の参拝客を収容できる。毎年の元宵(げんしょう)節や清明節、中秋節には、墓参客や古跡を訪れ往時をしのぶ観光客が後を絶たない。時には川劇(四川の伝統芸能)が上演され、出店が集まり、門前市を成す。

 2008年の汶川(Wenchuan)大地震(四川大地震)後、大邑県は子竜祠の修復と再建に着手し、今では初期段階の整備が整いつつある。正式な一般公開はまだだが、国内の台湾地区や韓国、日本などから毎年多くの観光客が訪れている。

 大邑は子竜文化の影響を強く受けた町であり、趙雲に関する民間の言い伝えも代々受け継がれている。(c)Xinhua News/AFPBB News