■ルヴォ・マニョンガ

 南アフリカを代表する陸上選手のルヴォ・マニョンガ(Luvo Manyonga)は、ライバルとの競争や薬物依存の問題を乗り越え、リオデジャネイロ五輪の男子走り幅跳びで銀メダルを獲得した。

 2011年に行われた第13回世界陸上大邱大会(13th IAAF World Championships in Athletics Daegu)では5位に入り、国際大会で頭角を現したものの、その後は覚せい剤の一種クリスタル・メス(メタンフェタミン)の深みにはまり、薬物の迷路に入り込む「生き地獄」に転落。2012年のドーピング検査で失格となり、18か月間の出場停止処分を受けたが、故郷を離れてクリーンな体になった。

 ブラジルで行われたリオ五輪では、米国のジェフ・ヘンダーソン(Jeff Henderson)に大会史上最も僅差となったわずか1センチの差で敗れて金メダル獲得を阻まれたものの、その姿は最も感銘を与える五輪物語の一つとして刻まれている。

■シモーネ・バイルス

 体操女子米国代表のシモーネ・バイルス(Simone Biles)は、初出場ながらリオ五輪では長い間見られなかった結果を残した。

 わずか19歳にして団体、個人総合、跳馬、そしてゆかと、女子体操選手で史上最多に並ぶ4個の金メダルを獲得。平均台ではミスを犯して銅メダルに終わり、五つ目のタイトル獲得はならなかったものの、世界最高の女子体操選手の地位を築いたことは間違いない。

 1956年のアグネス・ケレチ(Agnes Keleti、ハンガリー)とラリサ・ラチニナ(Larissa Latynina、旧ソ連)、68年のベラ・チャスラフスカ(Vera Caslavska、チェコ)、そして84年のエカテリーナ・サボー(Ecaterina Szabo、ルーマニア)に続き、1大会で4個の金メダルを獲得した史上5人目の女子選手となったテキサス(Texas)州出身のバイルスは、「私は、次のウサイン・ボルト(Usain Bolt、ジャマイカ)やマイケル・フェルプス(Michael Phelps、米国)ではありません。1人目のシモーネ・バイルスです」と語っている。