■技術の奥にある価値

 岡野功(Isao Okano)ら日本の名柔道家に教えを乞うたメディさんは、約5年間でブラジルの柔道に欠けていたものを学んだ。それは表面的な技術にとどまらない柔道の本質だった。メディさんは「規律、教育、伝統、真摯な姿勢。どれもブラジル人が持ち合わせていないものでした」と話している。

 リオに戻ったメディさんは、選手としてもトップレベルの実力を保ち、1963年と1967年のパンアメリカン競技大会でメダルを獲得する一方で、ブラジル代表のコーチとして後進の指導にもあたり始めた。厳しいながらも熱意ある指導で評価を高めると、サーキット・トレーニングなどの近代的な手法も取り入れながら、ブラジルを強豪国へと押し上げていった。そして定期的に日本を訪れ、知識を仕入れることも怠らなかった。

 ブラジルは現在、五輪の柔道のメダル獲得数で、ソビエト連邦を入れても9位に入るまでになった。柔道大国の日本、そしてフランスや韓国と比べればまだまだ差はあるが、それでも上位であることに変わりはない。

 今回のリオ五輪では、全階級に選手を出場させることができるという開催国ならではの強みがある。1980年のモスクワ五輪に出場した重鎮、オズワルド・シモエス(Oswaldo Simoes)氏によれば、ブラジルは男女それぞれ3個ずつのメダル獲得を目標に掲げているという。

 パンアメリカン競技大会を制した7段の実力者で、現在は指導者を務める63歳のシモエス氏は、「柔道の文化はブラジルに根付きました。全国に行き渡ったんです。ジョルジュ・メディはその立役者の一人ですよ」と語っている。