■無国籍

 当時、その大半が欧州諸国の支配下にあったアフリカ諸国の連帯や、脱植民地化を支持する立場にあったハイエ・セラシエ1世は1950年代、アフリカへの回帰を望む奴隷の子孫であるラスタの人々を迎え入れるために、シャシャマネの土地500ヘクタールを無償で分け与えた。しかし「王の中の王」といわれたセラシエ1世は1974年、軍事クーデターにより追放されてしまう。

 エチオピアン・ワールド・フェデレーションのクシュさんは「エチオピアはわれわれ欧米諸国の黒人にとっての故郷だ」と話す。

 ラスタの人々は皆、自分たちをエチオピアに導いたのは、旧約聖書の中で幾度となく登場し、古代イスラエルのソロモン王(King Solomon)の下を訪れたシバの女王(Queen of Sheba)の生誕地に宿る「神」だと信じている。

 クーデターでエチオピアの大統領となった独裁者、メンギスツ・ハイレ・マリアム(Mengistu Haile Mariam)は1970年代後半、シャシャマネの土地を没収した。この時、多くのラスタたちが独裁的支配から逃れ、土地を離れた。1991年に政権が崩壊し、一部のラスタはシャシャマネに戻ったが、「約束の地」での生活は決して楽なものではなかった。

「皇帝は500ヘクタールをわれわれに与えてくれたが、今は6~7ヘクタールだ。土地に関して自分たちは何の権限も持っていない」とクシュさんは語る。

 ラスタの多くはパスポートを更新せず、生まれ故郷に戻る選択肢を捨てた。だが、エチオピア国籍を取得することもできず、事実上、無国籍となったままとなっている。

 エチオピアでの統制は厳しいため、ラスタたちには住居に関する許可や資産の申請は認められていない。土地はセンシティブな問題なのだ。就労状況も厳しく、子どもを大学に進学させることもままならない。