【9月8日 AFP】早朝4時。深い夜空一面に星が輝き、エーゲ海(Aegean Sea)は物音ひとつしない静寂に包まれている。ギリシャのリゾート地、コス(Kos)島の浜辺に数人の記者が集まり、第2次世界大戦(World War II)以来、最悪の移民危機の最前線が到達するのを待つ。

 今日もまた戦争や苦難から逃げてきた多数の難民や移民たちが、欧州でのより良い生活を夢見て、ゴムボートで岸に到着しようとしている。「静かに。話したらモーターの音が聞こえない」。AFPのために信じられないほど力強く、共感に満ちたまなざしで難民たちの姿を捉えているカメラマンのアンゲロス・ゾルジニス(Angelos Tzortzinis)が言った。

 2時間も経たないうちに日が昇り、真夏の空をイエロー、ピンク、ブルーに染めたとき、私たちはボートを見つけた。AFPのビデオジャーナリストのセリーヌ・クレリー(Celine Clery)と私は一斉に走って駆け寄った。

「ギリシャ?トルコ?ここはどこだ?」。40代の男性が息を切らしながら、オレンジ色のライフジャケットを脱ぎ捨て、ゴムボートからはい出るようにしていった。「ギリシャですよ」と私は応じた。感情があふれ出た彼は砂地にひざまずき祈った。欧州に生きてたどり着いたことを神に感謝していた。

 また少しして私たちは遠くに別のボートを見つけた。今度は観光客のためにビーチに並ぶサンベッドをまたぎ、ボードウォークを駆け抜けた。黒い水着を着た高齢の女性が見つめる先には、陸に着いたばかりの40人ほどのシリア人と、それを取り囲む私たちがいた。シリア人たちは頭からつま先までずぶ濡れで、喉が渇いているようで、放心していた。

 その中にいた男性が連れていた14歳の息子は病気で、医師に診てもらう必要があった。そうかと思うと、ウム・アフマドさんという女性は子供を全員、シリアに置いてきたと語った。欧州で在住許可が下りたら、子供たちを呼び寄せたいという。

 彼らの表情には、恐怖、喜び、心からの安堵が入り混じっていた。ここまで到達し、もはや迫害や空爆に苦しまずにすむことに歓喜していた。だが同時に、ドイツ、スウェーデン、その他、尊厳をもって歓迎されるはずだと彼らが信じている欧州の国々にたどり着くまでには、まだ長い旅が続くことを知っていた。

 彼らのように欧州連合(EU)域内に入った難民は、今年だけで34万人以上。大半がシリア人だ。過去最大の流入急増で、EUは対応に苦心している。

 24歳の男性、ウダイさんは必死に水を欲しがった。こんな旅をする日が来ることを、数年前に想像していたかと聞くと「1000年後でもないと思っていた」という答えが返ってきた。「でも皆、シリアで起きていることを想像できていない。シリアではいつ死んでもおかしくない。僕たちは生きるために逃げてきたんだ」