ブロンドの貴公子プルシェンコは、2006年のトリノ五輪では金メダルを獲得したが、2010年のバンクーバー五輪では紙一重の差で米国のライバル、エヴァン・ライサチェク(Evan Lysacek)に敗れた。

 そしてここ2年間は背中の古傷の悪化や腰の手術を経て、復帰を目指していた。

 しかしロシア選手権では、ショートプログラム(SP)で首位に立ちながら、演技時間の長いフリースケーティング(FS)では残念な結果に終わり、18歳のマキシム・コフトゥン(Maxim Kovtun)に逆転されて2位に終わった。

 同選手はまた、2014年1月にブダペスト(Budapest)で行われる欧州選手権(ISU European Figure Skating Championships 2014)も欠場し、体の状態を戻すためにフィットネスプログラムに集中することを併せて発表した。

 フィギュアスケート最大の晴れ舞台である五輪のシングルに出場できないプルシェンコだが、そのことについて落胆はしていないと語る。そもそも今回の復帰は、うまくいく可能性が低いものだったという。

「僕の復活を信じている人はほとんどいなかった。今年はこれが(自分にとって)まだ2戦目。誰もが復帰は不可能だと言ったし、実際にそれが証明されることになった。それでも、もう少しいいスケートができても良かった」

 ロシアフィギュアスケート連盟(Figure Skating Federation of Russia)のアレクサンドル・ゴルシコフ(Alexander Gorshkov)会長は、プルシェンコの欧州選手権の参加は「以前から難しいとみていた」と語っている。

 またゴルシコフ会長は、「プルシェンコには、五輪代表チームへ入るチャンスが十分にある」とだけコメントし、団体戦の椅子が完全に確約されたわけではないことも示唆した。