【9月10日 MODE PRESS】物心ついた時から、私には自分なりの“こだわり”が常にあった。良くも悪くも、周囲の目を気にしてこなかったし、どういう状況においても、“私らしく”ありたいといつも思ってきた。その甲斐(?)あって、順調に身長(気がついたときには170cmあった!)とともに私は伸び伸びと成長し、中高卒業後、自分らしさを追求するため服飾系大学に進学した。そして、いま私は様々な企業やブランドとデザインの仕事やプロデュース業に携わる機会に恵まれている。今回、MODE PRESSではすでにスタートしている「TOKYO CLOSET」というコーディネート紹介の企画以外に、月1の連載枠をいただいた。私にとって初めての文章による連載、第1回目は、「ヴィヴィッドカラーの教科書が教えてくれた、未知の可能性を秘めた平成生まれ世代」。

-たった6歳差が衝撃を生む

 私には4歳下の弟(21歳:平成3年生まれ)と6歳下の妹(18歳:平成5年生まれ)がいる。子供の頃の記憶というのは恐ろしいもので、当時のいろいろな出来事を今でも鮮明に覚えている。妹が生まれたその日の出来事にはじまり、1995年頃のある日の出来事などなど。なかでも衝撃を受けた記憶のひとつに、まだ幼稚園年少組だった妹が当時自宅にあった四角い、まだオシャレとは程遠い角張ったマッキントッシュを使いこなし遊んでいる姿を見たときのことだ。弟と妹という存在は不思議なもので、新しいモノを次から次へと真似して覚えていく。時には、私を遙かに超えてしまうこともある。この6歳差の存在が意外と侮れない。社会に出てしまえば、さほど感じることのない6歳という年の差が、身近な姉妹という存在だと尚更、さまざまな点において衝撃を受ける。さてこの平成5年生まれの妹、小学生にもなれば、緊急用にとピンク色の携帯電話を持ち歩き、中高生にもなると「お昼休みはワンセグで昼ドラ鑑賞が日課」と言い出すのだから、驚きだ。

-“大仏”と戦い続けた学生時代から一変

 衝撃ついでにもう一つ。AO入試で服飾大学へ進んだ私とは対象的に、一般受験で大学進学を決めた当時高校3年生の彼女の部屋には、いつもカラフルな本が置いてあった。こっそり部屋に入って机の上にあるその本と手に取って驚いた。そこには「数学3」というタイトルがあって、表紙はオレンジ色。ひとつ下に重なった黄色の本には「数学C」というタイトルが書かれている。黄色といっても控えめなクリーム系の黄色ではなくではなく、パキッとしたヴィヴィッドなイエローなのだ。教科書もずいぶん変わったな・・・・と正直驚きを隠せないほどだった。

 教科書ほど、見た目より中身が大事なものはないけれど、私が使っていた教科書には、とてもリアルな大仏が表紙のものなんかが当たり前だった。その大仏にさえ不満を覚えるほど、ありきたりな“教科書”の存在に多感なお年頃の私は嫌気が差していた。教科書だって、もっとかわいければ・・・もっとおしゃれなら・・・・やる気も起きるのにと。そんな私の不満は、なんだったのだろうか。6歳年下の妹が使っている教科書は、なんともかわいいじゃないか!

-物足りなさの中から生まれたカスタマイズ

 リアルな大仏が表紙の教科書を見る度に、溜息が溢れてしまうのに、テスト前ともなれば、テンションはさらに下がる。なんとか無理矢理やる気を出そうとした私は、ノートや教科書を、ひたすら自分流にカスタマイズした。ファッション雑誌のページみたいにコラージュすることで、年号や数式を覚えた。私なりに工夫を凝らして、ありきたりな味気ない、いわゆる“教科書”と“大仏”と折り合いをつけ学生生活を過ごした。まぁ、担任の先生からは「大田さんらしいね・・・」と苦笑いされたが。

 別に、大好きなピンク色やドット柄、星柄やハート柄・・・じゃなくてもいいけれど、逆に駄目な理由は何なんだろうか。「見た目のモチベーション」には心理的効果があると思う。どんなにいいものでも、パッケージにその良さが出ていなければ人の心は掴めない。それと同じだと思う。学年が変わるたびに選ぶ余地もなく購入することになる教科書には、中身をそのまま表紙にしたものではなく、それを手にする生徒ひとりひとりの学生生活を彩るような工夫があっても良いのではないだろうか。私はもう『学校』を卒業したので、いまさら大問題だと騒ぐわけではないけれど、妹の姿をみながら、いろいろな事を考えさせられる。

-未知の可能性を秘めた平成生まれ

 その妹も今は大学に進学し、薬学部を専攻している。ヴィヴィッドカラーの教科書は、iPadに替わり(学生に全員支給。この時点でさらに驚く)、教科書?の中身は無料アプリをダウンロードするのだという。ここでも、たった6歳差なのに・・・と面食らってしまう。とはいえ、冷静に考えれば妹より後に生まれたすべての人たちには、それまでとは違ったモノや情報、価値観が当たり前ものとして目の前にあるわけだから、ある意味彼らには未知の可能性を感じる。

 この連載では、昭和62年(1987年)生まれという微妙な立ち位置の年齢を代表してこれまで私が感じた物足りなさや自分探しの方法などを、様々なシーンにおいて、時に面白おかしく、時にシビアに、世知辛い現実とともにいろんな例を挙げながら毎回考えて行ければと思います。最近の若いモンは・・・・と言われ続けてきた“若いモン(私)”が、さらに年下の若いモンや同世代の若いモンを考える、そして知っていただくまたとない機会ですので、是非半年間おつきあいください。【大田明弥】(c)MODE PRESS