【11月27日 AFP】コートジボワール南部沿岸の大都市、アビジャンのひどい騒音と渋滞から、ちょっとばかり逃げ出そうというつもりだった。そうして私は「チンパンジー・アイランド(Chimpanzee Island)」に住む最後のチンパンジー、ポンソ(Ponso)に出会った。

 

(c)AFP/Issouf Sanogo

 

 休暇を取った私は大西洋沿岸の町、グラン・ラウ(Grand-Lahou)へ向かった。アビジャン近郊の人気リゾート、グランバッサムよりも海が穏やかで、ビーチもすいていて、ストレスを洗い流すのに理想的だと思ったからだ。

 しかも私のような歴史マニアにとっては、1920年代に現地の住民を改宗させようとした白人修道士らが上陸した旧ラウを訪れるというおまけもあった。

 着いたホテルの名は「ザ・ラビン(The Ravin)」。1990年代にグラン・ラウに定住したフランス系米国人、フランソワ・スティーブンソン(Francoise Stephenson)さんが所有・経営している宿だ。フランソワさんは休暇で訪れたこの地と恋に落ち、ここにとどまり、60代になった。彼女もポンソの記事を書くために一役買ってくれた。

 

コートジボワールのグラン・ラウ近くを流れるバンダマ川。(c)AFP/Issouf Sanogo

 

 ビーチをぶらつき、波打ち際で貝殻や1940年代の磁器のかけらを拾ったり、植民地時代の古い家の跡を眺めたりしながら、ラグーンの反対側の村へ向かった。

 途中で見かけた小屋に「チンパンジー島」という古ぼけた木の看板と道を指す矢印があった。気になって矢印の方へ進むと川に突き当たり、行き止まりだった。1軒の家の横に今は使われていないわらぶきの売店があるだけだった。

 そこへ、沈黙を突き刺すように鳴き声が響いた。

 

(c)AFP/Issouf Sanogo

 

 声のした方を見ると、数十メートル先に小さな島があり、大きなチンパンジーと20歳位の男性がいて、まるで旧友のようにじゃれ合っていた。周りのことなど気に留める様子もなかった。

 最初は予期していなかった光景にただ魅入った。それから、ジャーナリストとしての好奇心が頭をもたげた。この男性は誰で、このチンパンジーは何者なんだろう? 彼らは何をしているんだろう? どうやってここに来たのだろう? 男性が島からこちらへ戻ってくるのを待つ間、質問が次々に浮かんだ。

 男性はジュニアさん。ジュニアさんの60歳になる父、ジャーメイン・ジェネマヤ・コイジャ(Germain Djenemaya Koidja)さんが、そのチンパンジーについて語ってくれた。

 

ジャーメインさんと過ごすチンパンジーのポンソ。(c)AFP/Issouf Sanogo

 

 そのチンパンジーはがん治療の実験のために、1993年にリベリアから連れて来られた約20頭のうちの1頭だった。彼らは何年かかけて、人間に邪魔されない新しい住みかに適応していった。最初にチンパンジーたちの世話をしていたのは、漁師だったジャーメインさんの父親だという。

 話を聞くうちに、前にもどこかでこの話を聞いたことがあるという気がした。同僚のフォトグラファー、イスフ・サノゴ(Issouf Sanogo)に電話すると記憶がよみがえった。1990年代に私たちはチンパンジー島のすぐ隣にあるアザニー国立公園(Azagny national park)を取材していた。パークレンジャーたちの手を借りて、カヌーでチンパンジー島に接近もしていた。その頃、島にいたチンパンジーの群れのうち1頭しか残っていないことに、イスフは驚いていた。

 

「チンパンジー・アイランド」に到着。(c)AFP/Issouf Sanogo

 

 ジャーメインさんの父親による世話の甲斐もなく、年月がたつうちにチンパンジーは1頭、また1頭と死んでいった。だが、死因は不明なことが多かった。森に生息するヘビにかまれたという説や、コートジボワールで珍重される毛皮を狙った密猟の犠牲になったという説があった。

 ジャーメインさんの父親が亡くなった2010年、残っていたチンパンジーは4頭だった。世話の仕方の手ほどきを受けていたジャーメインさんが後を継いだが、2015年に3頭が死に、たった1頭、ポンソだけが残った。

 ポンソは自分の家族の死に大きな衝撃を受けた。3日間、食べ物を受け付けず、誰とも顔を合わせようとせず、自分の殻に閉じこもった。

 話を聞きながら、ここでの出来事はコートジボワール全体で起きていることの縮図のようだと思った。コートジボワールはかつてアフリカ一のチンパンジーの生息数を誇っていたが、近年その数は激減している。

 2002年、コートジボワールとリベリアの間の熱帯雨林には、推計1万5000頭以上のチンパンジーが生息していた。ところが環境保護団体などによると、ここ数年でその数は激減し、もはや1000頭を下回っている。

 原因の一つは、約25万人が犠牲となったとされる1989~2002年のリベリア内戦だ。内戦の影響で密猟も増え、チンパンジーの自然生息地も破壊された。

 

コートジボワール南西部にあるタイ国立公園で、チンパンジーを崇拝する家庭に並べられたチンパンジーの頭蓋骨(2008年3月撮影)。(c)AFP/Kambou Sia

 

 ホテルへ戻ると、フランソワさんもポンソの話をしてくれた。ポンソが1頭になってしまったとき、フランソワさんは奔走して、国内西部にある国立公園から2頭のチンパンジーを島へ移住させることに成功した。ところが、良かれと思った計画は失敗だった。ポンソは新入りの2頭を受け入れず、殺してしまったのだ。

 それでも、フランソワさんはめげなかった。フランスの著名な獣医師、エステル・ラマダ(Estelle Ramada)氏に連絡を取ってジャーメインさんに協力してもらい、ポンソが1頭でも島で幸せに暮らせるようにしてもらったのだという。

 2週間後、今度はジャーナリストとして写真と動画の撮影班と一緒に、グラン・ラウを再訪した。ポンソについてちゃんと取材するためだ。仕事はまずジャーメインさんへのインタビュー、そしてポンソの撮影だった。(コートジボワール人が大抵そうであるように)私たちのチームはほとんど泳げない者ばかりだったが、小島へはカヌーで行かねばならなかった。

 

(c)AFP/Issouf Sanogo

 

 取材班のビデオ・ジャーナリスト、イブリン・アカ(Evelyne Aka)はポンソが枝を折った音で驚いて飛び上がり、カヌーを大揺れに揺らした。「死ぬほど怖かった」とイブリンは言った。彼女が2010~11年に取材した大統領選後の危機でさえも、それほどの恐怖ではなかっただろう。

 私はあっという間にポンソに心を奪われた。素晴らしい緑に囲まれ、一人っきりでいる彼を見るのは忍びなかった。それに90%の遺伝子を人間と共有するこの霊長類が、優しさや愛やいたわりを必要とする動物であることも、私には分かっていた。

 

(c)AFP/Issouf Sanogo

 

このコラムは、コートジボワール・アビジャンを拠点に活動するジャーナリスト、クリストフ・コフィ(Christophe Koffi)が執筆し、2017年11月7日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。