【9月11日 AFP】ミャンマー軍の兵士らがモスクの入り口をふさぎ、なたやガソリンの入った容器を手にした男たちが到着すると殺りくが始まった──ミャンマー西部ラカイン(Rakhine)州の村から逃げてきたイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)の人々が、 バングラデシュにある難民キャンプでAFPの取材に応じ、虐殺を生き延びた目撃談を語った。

「走って逃げた人たちは切り殺された。それを逃れた人たちも軍に射殺された」と、教師のマステル・カマル(Master Kamal)さん(53)は話した。「彼らは家々を焼いた。私たちは生き残るために逃げた」。逃げるとき、近所の男性と息子ら3人が殺されるのを見た。その後、モンスーンの大雨でぬかるんだ野山を幾つも越え、川を渡り、10日かかって隣国バングラデシュにたどり着いたという。

 AFPがバングラデシュ・バルカリ(Balukhali)の難民キャンプで行った聞き取り取材では、ラカイン州のアウン・シ・ピン(Aung Sit Pyin)村から逃げてきたロヒンギャの村人10人が、8月25日に村で起きた恐ろしい虐殺について詳しく語った。

 この日、ラカイン州各地でロヒンギャの武装集団が警察拠点を襲撃し、激しい弾圧が始まった。ミャンマー国内に居住するロヒンギャ110万人のうち、これまでに国境を越えてバングラデシュ側へ避難した人々は30万人近くに上る。

 無国籍状態のロヒンギャの人々は、横行する虐殺はミャンマー軍と仏教徒の暴徒によるものだと非難している。一方、ミャンマー政府はロヒンギャの武装集団が自ら村に火を放ったり、ミャンマー軍への協力が疑われる民間人を殺害したりしていると非難している。ラカイン州は立ち入りが極めて制限されているため、証言の立証は困難だ。

 アウン・シ・ピン村からの避難者の多くが、兵士らの追撃を走って逃げる際に、虐殺される人々や切断遺体、焼死体を見たと証言している。

 バングラデシュのキャンプは、次々と到着する難民でふくれあがっている。ジャマル・フセイン(Jamal Hussain)君(12)も、その一人だ。5人の兄たちは、アウン・シ・ピン村から走って逃げるときに機関銃に撃たれて倒れたという。両親とも7人の姉妹とも、それきり再会できていない。

「僕たちはみんな一緒にいた。でも突然、銃撃が始まった。死んでしまうと思ったから振り返ることもできなかった」とフセイン君は語った。背後から撃たれ、何かが体をかすって飛んで行ったという話を裏付けるように、フセイン君の肩には銃弾かその破片がつけたに違いない硬貨大の腫れが残っていた。(c)AFP/Nick Perry