【7月24日 AFP】イラク人のマハさんは、国内の数十万の人々と同じようにモスル(Mosul)近郊の避難民キャンプで息子たちと一緒に暮らしている。しかし彼女が他の人と大きく異なるのは、マハさんの父親と夫がイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」と共に活動し、戦っていたことだ。

 モスル南部アル・ジャダー(Al-Jadaa)地区のキャンプに最近到着したばかりの若いマハさんは、「男たちは家を出てやりたいことをしている。私たちの話には決して耳を貸さない」と述べ、キャンプに滞在する自分らの行動に言い訳をするように語った。

 モスル市内とその周辺では、米主導の有志連合が支援するイラク治安部隊とISとの戦闘が数か月間続いており、家を追われた1万8000人がこのキャンプに身を寄せている。そこに先週、夫や父親がISに所属していた女性や子どもを中心に、80世帯以上が移送されてきた。

 マハさんの父親は、死亡したIS戦闘員の家族に恩給を支給する仕事をしていたが、モスル旧市街マイダン(Maidan)地区への空爆によって自身も死亡した。それは、イラク政府が今月10日、モスルにおけるISとの戦いに勝利したと宣言する前に行われた最後の空爆だった。

 モスル南方の農村地帯で暮らしていたマハさん一家は、昨年10月にイラク治安部隊の進攻を逃れて市内に移動した。

「誰からも危害は加えられなかった。よくしてもらった」と語るマハさんの顔を覆うスカーフの隙間からは、不安そうな目だけがのぞく。

 あるテントでは大声を出したり泣きわめいたりする幼い子どもたちに囲まれながら、クハウルさんとナワルさん姉妹が治安部隊の侵攻によってモスルに残してこなければならなかった暮らしを振り返った。

「彼らは私たちを救ったと言う。でも誰から? 彼らは私たちを空爆した張本人なのに。私たちはそこかしこにある死体の上を歩かなければならなかった」

 姉妹の60代の父親は元バス運転手だったが、整備士としてISの下で働いた。