【11月21日 AFP】米大統領選当日の民主党候補ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)氏のパーティー会場のステージが合衆国の形をしていると聞いた私は、期待に胸を膨らませた。「小さな米国」型のステージに立つ米史上初の女性大統領の姿を上から見下ろして撮影する──投票日の夜の決定的な1枚になると確信していた。 

(c)AFP/Jewel Samad

 選挙戦最後の数日間、私は全米を駆け回るヒラリーを追っていた。彼女のリードを示す複数の世論調査の結果を受けて、クリントン陣営は盛り上がっていた。彼女がミシェル・オバマ(Michelle Obama)米大統領夫人と一緒にいる写真を撮影した。このパワフルな女性2人から伝わってくるエネルギーをありありと感じた。

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 ミュージシャンのファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)とセルフィーを撮影している写真も撮った。 

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 ヒラリー陣営全体に祝賀ムードが漂っていた。ハロウィーンの時には専用機の中で、ヒラリーはスタッフと一緒にマスクをかぶってふざけていた。後ろにいた私たち報道フォトグラファーの視界を、専属フォトグラファーが遮っていたため、ヒラリーに前に出てきてくれと叫ぶと、彼女はそれに応じながら大笑いした。その瞬間を本当に楽しんでいるようだった。

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 ヒラリーは目で語り、色々な顔をする。だから彼女の写真を撮るのは楽しい。

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 楽しい雰囲気はわが家にも及んだ。6歳の娘のアイアーンは、初の「女の子の大統領」が誕生する可能性に興奮していた。

 投票日前日、私は遠隔操作カメラを設置するために朝7時に、ニューヨーク(New York)・マンハッタン(Manhattan)のジェイコブ・K・ジャビッツ・コンベンション・センター(Jacob K. Javits Convention Center)に行った。ハーネスとヘルメットを着用して天井近くの狭い足場へ上り、そこでニコンのカメラを手すりに固定し、ネットワーク用のワイヤーにつないで安全装置をつけ、うまく作動するか何度も何度も試した。

遠隔操作カメラを設置する著者。(c)AFP/Jewel Samad

 私だけではなかった。AP通信、ロイター(Reuters)通信、ニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙、ゲッティイメージズ(Getty Images)のフォトグラファーたちも同じ作業をしていた。私たちは1日中、慎重にカメラを設置し、歴史的瞬間のためにテストを繰り返した。

 さらに翌日、私たちはまたコンベンション・センターに戻り、何時間もかけてすべてをテストした。フォトグラファーにとってカメラの故障や誤作動は悪夢だ。ましてや歴史が作られる、世界最大のビッグニュースの瞬間にそんな悪夢は勘弁してほしい。

 確認を終えた私たちはいったん帰り、夕方近くにまた戻って来て、それぞれの指定の場所で待機した。AFPはその夜、5人のフォトグラファーをセンターに送っていた。私の場所はステージの正面、支持者たちの席の上部にあるメインプラットフォームだった。

 センターは午後6時半ごろに開場し、支持者がなだれ込んできた。彼らは皆、陽気で、笑い、歌い、歓喜していた。パーティーの準備は万端だった。

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 ボクシングのグローブをはめた支持者もいた。「マダム・プレジデント!」と繰り返す声が上がった。

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 私の頭の中には、群衆の頭上に設置した遠隔操作カメラのことしかなかった。いつ撮影を始めようか?撮った写真は直接ワシントン編集部のフォトエディターに送れば、そこで編集してクライアントへ配信してもらえるだろうか?

 用意してある紙吹雪はいつ降ってくるのか? ヒラリーだけの写真を撮ることができるだろうか? 白髪がすっかりトレードマークになった夫ビルとのツーショットも撮れるだろうか?

 私は全体を背後から見渡す場所にいて、見えたのはほとんど支持者たちの後ろ姿だったが、彼らのエネルギーは容易に伝わってきた。こうした公式イベントで群衆から本物のエネルギーがわき起こっているとき、それは明白に分かる。しかし、夜が更けて各州の結果が発表されるにつれて、そのエネルギーはしぼんでいった。

 そして「スイング・ステート(激戦州)」のフロリダ(Florida)州を落としたとき、パーティーは終わった。その夜のパーティーは違う場所で行われることを、支持者らは悟った。私たちフォトグラファーも。

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 私は頭を切り替えた。必要なのは紙吹雪が舞う美しい勝利の一枚ではなく、敗北演説を終えたヒラリーが米国地図の形をしたステージから肩を落としながら去るショットだ。

 しかし、午前1時ごろにクリントン陣営の選対本部長が現れ、支持者たちに帰宅を促した。その夜、ヒラリーが現れることはないということだ。つまり、彼女が立ち去るショットは撮れないことを意味した。

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 数時間前まで歌って踊っていた支持者たちはおおっぴらに泣き始め、センターにあふれていたエネルギーは消え去り、代わりに絶望感が満ちた。持ち場にいたフォトグラファーたちも同じだった。一人が「これだけのカメラをセットするのに2日もかかったのに」と冗談交じりにつぶやいた。「なんて時間の無駄だ」

 私は時間を無駄にしたとは思わなかった。ヒラリーではないかもしれないが、意気消沈しながらステージを去る誰かの後ろ姿を収めようと思った。そして、そうする人物がいたのを見て、上にあった遠隔操作カメラのシャッターを切った。

 午前3時ごろにセンターを出て家に帰ったが、朝7時に同僚からの電話で起こされた。ヒラリーがホテルで敗北演説を行うという連絡だった。

 シャワーを浴びてすぐウィンダム・ニューヨーカー・ホテル(Wyndham New Yorker Hotel)へと向かった。前夜よりもずっと小さな会場で、部屋にいたほとんどが選挙スタッフだった。ヒラリーが登場したとき、私は落胆の表情を狙った。だがこの時だけは、いつもは目で語る彼女が、多くの表情を見せることがなかった。何枚か撮るのが精いっぱいだった。

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 演説が終わり、彼女が壇上から降りるとき、その立ち去る姿を撮った。米国の形をしたステージではなかったが、後ろには星条旗がかかっていた。

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 その日、私の帰宅を待っていた娘のアイアーンは「どうしてヒラリーは勝てなかったの?」と詰め寄ってきた。「どうして男の子ばかりが大統領になるの?」

「どうしてだろうね」と私が答えると、彼女は言った。「ヒラリーがだめだったのなら、私が大きくなったときに、最初の女性大統領になってみせる」(c)AFP/Jewel Samad

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このコラムは、米ニューヨークに拠点を置くジュエル・サマド(Jewel Samad)カメラマンが、AFPパリ(Paris)本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同執筆し、2016年11月11日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

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