【9月4日 AFP】中央アジアのウズベキスタンのサマルカンド(Samarkand)で3日、旧ソ連から独立して以来25年以上にわたり強権支配を続けていたイスラム・カリモフ(Islam Karimov)大統領の荘厳な葬儀が厳戒態勢の下で営まれ、大勢が参列した。

 厳しい統制下にある国営テレビは首都タシケント(Tashkent)の病院からサマルカンドの国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(World Heritage)に登録されている青いドームのモスクで有名なレギスタン広場(Registan Square)まで運ばれるカリモフ大統領のひつぎの映像を伝統的な葬送曲をバックに放映した。

 国営テレビの映像には、そびえ立つ神学校に囲まれた広場で、白いシャツを着た男性たちに運ばれるカリモフ氏のひつぎを見守る隣国アフガニスタンのアシュラフ・ガニ(Ashraf Ghani)大統領ら大勢の参列者が映っていた。

 旧ソ連からの独立後以来大統領の座に君臨してきたカリモフ氏の亡きがらは、シャーヒ・ジンダ(Shaki Zinda)墓廟に眠る母と兄弟の隣に埋葬された。

 カリモフ氏は先週末、脳出血に見舞われたと伝えられ、死去の事実を当局が隠しているのではないかという臆測が数日間にわたり飛び交った。政府によると、同氏は2日午後8時55分(日本時間3日午前0時55分)に息を引き取った。78歳だった。

 同国がソ連から独立した1991年をまたいで政権を握り続けたカリモフ氏の支配は拷問と強制労働に支えられていたと人権団体は主張している。カリモフ氏は国外から、一切の批判を容赦なく弾圧する「最も残酷な独裁者の一人」と呼ばれていた。

 国外に拠点を置く反カリモフ氏の立場を取る事情に詳しい報道機関によると、ウズベク政府がカリモフ氏の死を公式に発表する前に遺体はサマルカンドに運ばれていた。政府は旧ソ連時代の共産党指導者が死去した際を思わせるような沈黙の中で、カリモフ氏の死の発表を先延ばしにしていたという。(c)AFP