【8月27日 AFP】2012年から4年にわたってシリア政府軍に包囲されていたシリアの首都ダマスカス(Damascus)郊外の町ダラヤ(Daraya)で26日、反体制武装勢力と民間人の撤退が始まった。

 ダラヤは、バッシャール・アサド(Bashar al-Assad)政権に対する抗議運動が行われた最初の町の一つ。ダマスカスから車でわずか15分の距離にあり、さらに近隣にはマッジ(Mazzeh)空軍基地がある。

 アサド政権とダラヤの反体制勢力が合意に達したことを受け、戦闘員や民間人らはこの日、ダラヤからの撤退を始めた。AFP記者によると戦闘員とその家族を乗せた何台ものバスは救急車や赤新月社(Red Crescent)の車両を伴い、荒廃したダラヤの町を後にした。涙を流している人も多かった。

 25日に今回の合意について報じた国営シリア・アラブ通信(SANA)によれば、反体制派戦闘員700人とその家族は反体制派の支配下にあるイドリブ(Idlib)に向かい、民間人はシリア政府が運営する施設に収容される。またダラヤの評議会は、戦闘員とその家族は赤新月社に付き添われてシリア北部に行くと述べている。

 戦闘員と民間人の撤退は28日まで続くとみられる。軍関係者によると、政府軍はその後にダラヤに入る予定だという。

 反体制派の一人はダラヤから撤退する理由として人道状況の悪化を挙げ、「この町にはもう住めない。完全に破壊されている」と語った。

 政府軍に包囲されていたこの4年間でダラヤに支援物資として食料が搬入されたのは、医薬品が届けられた直後に行われた今年6月の1度きりだった。しかし住民らによると、食料が届けられた直後にアサド政権は激しい空爆を行い、食料配給は止まってしまったという。

 ダラヤ以外の複数の場所でも、長期間にわたって政府軍に包囲されていた反体制派が撤退することでアサド政権と合意する例が出ている。人権団体は、シリア政府が「飢えか降伏か」を迫る戦術を取っていると批判している。

 2011年3月に国内各地でアサド政権に対する平和的な抗議運動が始まり、ダラヤはそうした運動の象徴的な拠点とみなされていた。しかしその後、内戦に発展し、シリア国内の死者は29万人を超えている。(c)AFP/Rim Haddad