【8月26日 AFP】イラク人のアフマド(Ahmad)さんとアリア(Alia)さん、赤ちゃんのアダム(Adam)君は、欧州の移民危機がピークに達した昨年9月に欧州にたどり着いた。出身地のバグダッド(Baghdad)で起きた爆弾攻撃を生き延びた夫妻は、アダム君のためより良い生活を求めて母国を離れる決心をした。3人がトルコの海岸で粗末な漁船に乗り込んでギリシャを目指した時、アダム君はまだ生後4か月だった。

 ギリシャからは、草原を歩いたり、中東やアジア、アフリカからの亡命希望者らと一緒に電車やバスの中ですし詰めになって移動したり、国境警備隊員らの目を盗んだりしながら移動を続けた。一家の旅路に、AFPの取材班が同行した。

 10月、アフマドさんらは家族が暮らすオランダで難民申請を行った。以来、仮設シェルターを渡り歩き、展示場で寝泊まりしたこともあった。12月下旬からは、かつて女子刑務所だった施設に設置された難民キャンプに身を寄せている。アフマドさん一家も、欧州全域に何十万人といる他の亡命希望者ら同様、居住許可が得られるかどうかはまだ分からない。

 私たちがアフマドさん一家に初めて会ったのは、ギリシャとマケドニアの国境からセルビア国境に向かう混雑した列車の中だった。以来、バルカン(Balkan)半島を抜けてオランダ入りするまでの道のりと、新天地での暮らしに抱く夢を記事にしてきた。今回アフマドさんは、難民申請の際に受けた面接について語ってくれた。以下がその内容だ。

  オランダ・ヘーアヒューゴワード(Heerhugowaard)にて。私は難民申請面接を3月半ばに受けた。オランダ当局に対し、自分たちのこれまでのいきさつを話せる機会をあまりに長く待ちわびてきたため、ついにその日がやって来ると私はひどく緊張した。この1回の面接で、私の全人生と家族の運命が決まるのだと自覚していた。

 その日は特に早く目が覚めた。身支度を整え、私と約45人の亡命希望者が政府のバスに乗り込んだ。面接が行われる、首都アムステルダム(Amsterdam)のスキポール(Schiphol)空港内の受け入れ施設へと向かった。アリアとアダムもついて来たが、2人は施設の外で待たされた。

 

難民一時収容施設にて、2015年12月。(c)AFP/Emmanuel Dunand

 

 午前10時、窓が一つ付いた白い壁の部屋へ案内された。面接官は金髪でバラ色の頬をしており、白いTシャツを着ていた。私と同年代だった。人当たりが良く、礼儀正しかった。彼はあらかじめ、オランダに至るまでの私の人生について、厳しい質問をしなければならないことをわびた。質問するたびに「お願いします」と言い、私が答えるたびに「ありがとう」と言った。質問に対し深く考える必要はなく、ただ事実を伝えた。

「名前をお願いします」
「アフマドです」
「ありがとう。出身地をお願いします」
「バグダッドです」
「ありがとう。生年月日をお願いします」
「1988年11月16日です」
「ありがとう。小学校の名前をお願いします」
「アルザーフ・アルカビール(Al-Zahf al-Kabir)です」
「ありがとう。中学は?」
「アルカーカー(Al-Qaaqaa)です」
「ありがとう」

 

バグダッド、2007年8月。(c)AFP/Ali Yussef

 

 部屋には通訳のイラク人女性がいた。私よりいくつか年上のようだった。面接官はパソコン画面に映し出された質問事項を読み上げる際、常に通訳の方を見ており、私には一度も目を向けなかった。

 質問内容から察するに、彼はイラクのことをあまり知らないようだった。ただ質問を読み上げ、答えを一つずつパソコンに記入していくだけだった。私は、いつ何時殺されるか拉致されるか分からないという、イラクでの生活の危険性について話した。

 2006年から07年にかけてイラクで宗派間抗争が激化していた際、イスラム教シーア派(Shiite)の強力な民兵組織マフディ軍(Mahdi army)に10日間拉致された経験も語った。いとこ2人と一緒に人質に取られ、殴られた上目隠しをされた。私たちは幸い、シーア派の近隣住民による交渉が奏功して解放された。だが生きて帰れなかった人も大勢いる。イラクで暴力行為がいかにまん延しているか、面接官はそこまで認識していなかったと思う。

 

マフディ軍の民兵、2006年11月。(c)AFP/Qassem Zein

 

「兵役に就いたことはありますか?」
「いいえ。サダム・フセイン(Saddam Hussein)政権下では若過ぎ、新政権になってからは年を取り過ぎていました」
「ありがとう」

 それから面接官は、両親と4人のきょうだいの名前、アリアと結婚した日を尋ねた。微細にわたり、何もかも聞かれた。答えるたびに、静寂の中で「タッ、タッ、タッ」とキーボードをたたく音が聞こえた。面接官の顔はほぼ常時パソコン画面の後ろに隠れていて、ほとんど見えなかった。

 

ドイツにある亡命希望者用の仮設住宅、2015年8月。(c)AFP/John Macdougall

 

 数時間後、私と約45人の被面接者には1時間の休憩が与えられた。廊下へ出るよう促され、トーストと凍ったチーズをもらった。同じ階にある小さな部屋で順に並び、水とインスタントコーヒーを自分で取ってきた。チーズを解凍する電子レンジはなかったので、差し込む日光で溶けることを期待し、窓際に置いた。リンゴとオレンジを持参しておいて良かった。

 

バルカン半島における移民ルート。(c)AFP

 

 休憩後、また質問が続いた。
「イラクを出ようと決めたのはいつですか? お願いします」
「最初にイラクを出たのは2006年、宗派戦争のさなかでした。シリアに行き、それからトルコ、ヨルダンへと渡りました」
「ありがとう」

 その後面接官は先に聞いた質問のうちの一つを繰り返した。何だったかは覚えていないが、私の答えが一貫しているかどうか確認するためだったのだろう。私は同じ答えをした。

 私は自分の人生を語り尽くした。一夜にして難民になったわけではない、10年間ずっと放浪を余儀なくされたのだと訴えた。

 宗派間抗争の際にシリアへ逃げた後、バグダッドに一時的に戻ったこともあった。状況が上向くかもしれないと期待したからだ。だがそうはならなかった。私はアリアと結婚し、アダムが生まれた。私たちはアダムが4か月になるのを待って、イラクを出た。

 

マケドニアからセルビアに向かう列車内、2015年8月。(c)AFP/Aris Messinis

 

 アリアと私が、2014年2月にバグダッドで起きた爆発を生き延びたことについても、面接官に話した。それは結婚前の出来事だった。私たちは「ミスター・チキン」というレストランで夕食をとることにした。何を食べるか相談し、注文しに立ち上がろうとしたその瞬間、爆弾が爆発した。もし立ち上がるのが数秒早かったら、私は死んでいただろう。レストランに居合わせた多くの人が亡くなった。四肢を失った人もいた。重度のやけどを負った人もいた。悲惨な光景だった。レストランは跡形もなく吹き飛んだ。

 

爆撃後のバグダッド、2014年2月。(c)AFP/Ahmad Al-rubaye

 

 私は自分の顔に残った傷を面接官と通訳に見せた。通訳の目は涙で潤んだ。アリアの傷はこれよりひどいのだと伝えた。

 通訳は、「あなたが生きていることを神に感謝します、ここへたどり着いたことを神に感謝します」と言った。面接官は何の反応も示さなかった。「タッ、タッ、タッ」とキーボードをたたく音だけが響いた。

 

ギリシャとマケドニアを歩いて渡る移民たち、2015年8月。(c)AFP/Aris Messinis

 

 それから私は、AFP取材班がわれわれ家族について記事を書き、引き続き取材を受けていることも明かした。面接官は私たちの道のりをAFPが撮影した動画を見ながら、こう尋ねた。
「彼らはなぜあなた方を選んだのですか?」
「アダムがいたからです。ジャーナリストの皆さんは、私たちが息子の未来を明るいものにしたいという一心で何もかもなげうってきたことに心底感動したようでした」
「信じます」
面接官はそう言った。私は安堵(あんど)のため息をついた。

 面接は最初から最後までごく淡々と進んだ。面接官はあまりに多くの人からあまりに多くの話を聞き、誰に対しても何も感じなくなっていたのかもしれない。午後5時、ようやく全ての質問が終わった。面接官と通訳に付き添われ、アリアとアダムが待つバスへ戻った。

 

アフマドさんとアリアさん、オランダのレーワルデンにて。2015年12月。(c)AFP/Emmanuel Dunand

 

 通訳はアダムをあやし始め、面接官もアダムの手を握った。彼は私の目を見つめ、「今分かりましたよ、あなたがなぜここまでやって来たのか」とほほ笑んだ。

 アリアとアダムと一緒に旅立ってから、長い時間が過ぎた。私は希望を失っていないが、待つのはやはりつらい。難民申請が認められるかどうか判明するまで、最長で半年かかる可能性もあるという。

 

(c)AFP/Emmanuel Dunand

 

 難民申請者らの間では概して、われわれイラク人よりもシリア人の方が早く難民として認められ、居住許可が出やすいという印象が広がっている。

 ここに11年間住んでいる兄弟には、最初はつらいから辛抱するようにと諭された。待つのは構わない。ただ、どれだけ待たなくてはならないのかが見えないこと、それがつらいのだ。

 私が願うのはただ一つ。アダムが保育園、幼稚園へ通い、それから学校へ上がれますように。彼が安全な場所で、普通の生活を送れますように。ただそれだけだ。(c)AFP/Serene Assir

 

アフマドさんとアダムくん、2015年12月。(c)AFP/Emmanuel Dunand

 

このコラムは、パリに拠点を置き、中東での駐在経験もあるセレーヌ・アシール(Serene Assir)AFP記者が執筆し、2016年7月26日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。