【7月10日 AFP】ギリシャ政府が、高齢者が現金を引き出せるようにと、銀行を3日間だけ開けると発表したとき、ひどい騒ぎになるのは目に見えていた。押し合いへし合い、哀れな銀行員たちに罵声を浴びせる人々…。財政危機の6年間、そんな光景を私たちは何度も見てきた。残念だが、これが現実であり、それを記録に残すことが私の仕事だ。

 私は昨日の朝6時半に、ギリシャ国立銀行の本店の前にいた。午前7時、開店2時間前に、すでに100人が集まっていた。私がそこにいる間に、300人ほどは見ただろうか。同僚である他の2人のカメラマンは、支店で取材にあたり、何千人もの年金生活者が全国の銀行を包囲するニュースの写真を撮った。

(c)AFP/Aris Messinis

 決して、みんなが身勝手な行動をとっていたわけではなく、きちんと列に並んでいる人たちもいた。だが汚い行動はたくさんあり、詳細を写真で伝えるのは難しい。年配の女性が年配の男性の手をたたいて、番号のチケットを奪おうとしている様子を見たが、一瞬のことだったためにカメラに収めることはできなかった。

 彼らは静かに外で待つこともできたはずなのに、行員に飛びかかってチケットを奪い取っていた。列に並ぶ20分を節約するためだ。私は写真を撮りながら、怒鳴られたり押されたりした。

(c)AFP/Angelos Tzortzinis

 もちろん、こうした危機で、よりおびえるのは高齢者であり、現金が必要なのも分かる。

 だが、先週、国のATMを空にしてしまった人々のように、ただ自分たちが持っているものを失うことを恐れている人たちもいる。彼らはもはや銀行を信じておらず、自分で現金を保管した方が安全だと思っているのだ。

(c)AFP/Aris Messinis


 私に言わせれば、これは怒りではない。自制心と、隣の人に対してどれだけフェアでいることができるかという問題だ。ここにいる人はみな怒っている。私だってこの状況に怒りは感じているが、それでも列に並んで待ったり、私以上に必要としている人に先を譲ったりすることはできる。

 私たちギリシャ人はとても率直で、大きな声で表現する。そして、奇妙な行動をとることがよくある。このような困難な状況では、礼儀正しい振る舞いは消えてしまう。

 たとえば食料の供給が途絶えたときなど、私はそのような光景を何度も見てきた。人々、とくに高齢者が列を飛び越えて、じゃがいもを奪い取ろうとするのだ。

(c)AFP/Angelos Tzortzinis

 だが事故が起きたり危険な状況になったときは、人々は「ウワー」と言って落ち着くのも確かである。他の国では欲しいもののために殺し合いをするところもあるが、ギリシャでそれは起こらない。

 この6年で、ギリシャはひどい状態になった。何百人、おそらく何千人もの人々が自殺した。ここ数日の銀行やアレクシス・チプラス(Alexis Tsipras)首相による資本規制政策のせいだけでなく、人々は苦しんできた。

ギリシャ・アテネで、欧州連合(EU)などの債権団が求める緊縮策への賛否を問う国民投票を不安視するグラフィティの描かれた壁の前を歩く男性(2015年6月28日撮影)。(c)AFP/Aris Messinis

 ひどく怖がっている人もいれば、これ以上悪くはならないだろうと平静を保っている人もいる。60ユーロ(約8000円)を引き出すために列に並ぶ必要はない。だいたい半々だろう。

 日曜日の国民投票の結果がどうなるかは分からない。だがこのように二分された国は危険だと感じる。

 国民投票は、特定の財政緊縮策に「賛成」か「反対」かを問うところから始まった。だがその後、欧州連合(EU)では、ギリシャがユーロ圏にとどまるか否かの問題に姿を変えた。そして今や誰もが自分のゲームをプレーしようとしている。

ギリシャ・アテネの国会議事堂前に集まったデモ隊(2015年6月29日撮影)。(c)AFP/Aris Messinis

 私たちはこの数日間、大きな「賛成」や「反対」のデモ行進を撮影した。だが正直に言って、こうしたデモは親欧州か反欧州というよりも、政治陣営に導かれたものだ。

 「反対」陣営は左翼的で、EUから脱退したくはないが、違う形の欧州を求めている。緊縮策が厳しくなく、若い世代の明るい未来のために雇用プログラムがある欧州だ。「賛成」陣営の大半は(私の経験から言うと)、少し余裕がある人たちで、そのため何かを失う気持ちでいる。彼らは右翼的な傾向がある。

ギリシャ・アテネの国会議事堂前に集まった親EU派のデモ隊(2015年6月30日撮影)。(c)AFP/Aris Messinis

 ギリシャのメディアはいつも公平とは限らない。彼らは政治システムの一部であり、すべてのメディアに偏りがある。その結果、ここではジャーナリストは歓迎されない。トラブルに直面せずに取材するのはとても難しい。

 この危機が起きてから、私は街で多くの人々に取材してきた。人に話しかければ、攻撃される。私が昨日経験したように。このような写真はとても強力であり、すべてを物語っているように見えるが、本当は大きなストーリーの一部にすぎない。

 私たちの仕事の問題は、違う側面を見せることが難しい点だ。急進左派連合(SYRIZA、シリザ)が台頭する前にそうしていたように、普通の生活を送っているギリシャ人もいる。だがそうした冷静な様子は写真では表現しにくい。

ギリシャ・アテネの中心街に描かれたグラフィティ(2015年6月27日撮影)。(c)AFP/Aris Messinis

 この何年間か、私はよくアテネ(Athens)の街の壁に描かれたグラフィティを使って、ギリシャ危機の紆余曲折を表現しようとしてきた。

 グラフィティはここの私たちの生活の一部だ。アートが私たちの歴史の一部であるのと同じように。グラフィティは、このコンクリートの街をより美しくしてくれる。そして私たちにはその美が必要だ。毎日人が通る場所に描かれたイメージは、声を上げない大多数の人々の思いを代弁していることが往々にしてある。

 こうしたイメージは政治的表現のひとつである。それは時に、人々が叫んでいる写真よりもずっと面白く、筋が通っていることがある。(c)AFP/Aris Messinis

この記事は、2015年7月2日に英語で配信された、AFP通信ギリシャ・アテネ支局のカメラマン、アリス・メシニスが、AFP記者コラム編集者のエマ・チャールトンと共に書いたコラムを翻訳したものです。

ギリシャ・アテネで、ギリシャのユーロ離脱の可能性を描いたグラフィティ(2015年6月28日撮影)。(c)AFP/Aris Messinis