【10月20日 AFP】このデジタル時代に手紙が届くということ自体、ある意味、普通ではない。ノルウェーの首都オスロ (Oslo)にあるAFP通信の支局に、その手紙が届いたとき、封筒の字をちらっと見ただけで送り主はわかった。ブロック体で几帳面さがにじみ出た手書きの文字。背筋が凍り付いた。

 約1年の間に、私は刑務所から3通の手紙を受け取った。送り主は、2011年7月にオスロとその近郊のウトヤ(Utoeya)島で爆破・銃乱射事件を起こして77人を殺害した右翼の過激派、アンネシュ・ベーリング・ブレイビク(Anders Behring Breivik)受刑者だ。

 手紙はタイプされていたが、住所と文面の最後の署名だけ手書きだった。いつも長い手紙で、3通目はA4用紙にして17枚あった。私が返事を出すことはない。同僚たちは同情の念をもって、私のことを凶悪殺人犯の「ペンパル」と呼ぶ。

 最初の手紙が送られてきたのは昨年のこと。終わりが見えないほど長い文面で、私は軽く流し読みするだけにした。深く考えず、頭の中から早く消したかったからだ。

 今年の2月に届いた2通目は、少し興味深かった。ブレイビクは10項目ほどの要求を挙げ、それらが受け入れられなければ、ハンガーストライキに入ると脅していた。面白い要求の1つが、刑務所で今使っているものより新しいゲーム機が欲しいと述べていたことだ。「プレイステーション2(PlayStation 2)」を「プレイステーション3(PlayStation 3)」に買い替えてくれと要求していた。

 あの事件が起きた11年7月22日からブレイビクについて報じてきた私はずっと、彼のゆがんだ感覚を見てきた。重要なことより、取るに足らない小さなことに執着する姿だ。ウトヤ島で大勢の子供を含む69人を殺害した直後に逮捕されたとき、ブレイビクが警官に何を頼んだかというと、けがをした自分の人さし指に包帯を巻いてくれということだった。

 2通目の手紙を受け取った後、私はプレイステーションの要求を暗に笑うつもりで記事を書いた。そうすればもう私的な手紙も送られてこないだろうという思いもあった。しかし9月5日に、角ばった冷たい文字が書かれた分厚い封筒がまた私のオフィスに届いた。