【9月17日 AFP】15世紀のイングランド王リチャード3世(Richard III)は、ぬかるんだ地面にうつぶせにされ、かぶとを着用していない頭部への攻撃で、鋭利な武器が脳を貫通したために死亡した──。

 17日の英医学専門誌ランセット(Lancet)に掲載された遺骨の検視に関する論文を通じて、これまで論争の的になってきたリチャード3世の凄惨(せいさん)な最期が明らかになった。

 劇作家ウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare)の戯曲には、リチャード3世が敵に襲われて落馬した後に殺害される描写がある。

 リチャード3世は1485年8月22日、イングランド(England)中部レスターシャー(Leicestershire)州での「ボズワースの戦い(Battle of Bosworth Field)」で死亡した。32歳だった。

 遺骨は、レスター(Leicester)の駐車場の下から2012年に発見され、以降レスター大学(University of Leicester)の考古学チームが分析を続けていた。

 軟部組織が残っていないリチャード3世の場合、分析の対象となったのは遺骨のみで、チームは切り傷や擦り傷、刺し傷など遺骨に残された痕跡を当時の武器が人体に与える損傷と比較して、死亡した当時の状況を推測した。

 ランセットに掲載されたレスター大の論文によると、リチャード3世の頭部には致命傷となったもの以外に、絶命直前のものとみられる損傷が9か所みられる。致命傷となったと考えられる2か所については、その痕跡から鋭利な武器が頭蓋骨を貫通して脳にまで達していたことがうかがえる。その他、胴体部分にも傷が2か所あったが、これは死後によろいを引きはがされた後にできたとされる。

 レスター大考古学チームの病理学者ガイ・ルティ(Guy Rutty)氏によると、リチャード3世が頭部に受けた損傷が示唆するものは、当時の戦いで「敗者はうつぶせにさせられた」との考察と一致するという。また同大のサラ・ヘインズワース(Sarah Hainsworth)氏は、遺骨の傷の状況から、複数の敵に襲撃されたと推測している。

 シェークスピアの戯曲では背骨が湾曲し、権力に飢えた残忍な人物として描かれるリチャード3世だが、現代の研究ではリチャード3世を倒して台頭したテューダー(Tudors)朝によって本来の姿が歪曲(わいきょく)されていることが分かっている。(c)AFP/Richard INGHAM