【6月11日 AFP】1930年に開催されたサッカーW杯ウルグアイ大会の豆知識を紹介する。

――W杯の第1回大会の開催国には、イタリア、ハンガリー、オランダ、スペイン、スウェーデン、ウルグアイの6か国が立候補した。ウルグアイに決まったのは、同国が全参加国に対し、費用の負担を約束したことがとりわけ大きな要因だった。

――英国の各代表チームは、国際サッカー連盟(FIFA)に加盟していなかったため、考慮もされなかった。英国のチームがW杯に参加するのは1950年大会からだった。

――メーン会場となるセンテナリオ・スタジアム(Centenario Stadium)が開幕後も未完成だったため、大会序盤は地元クラブのスタジアムを使って試合が行われた。決勝トーナメントはこのセンテナリオ・スタジアムで行われた。

――W杯の最初の試合では、フランスが4-1でメキシコに勝利した。W杯第1号の得点者に輝いたのは、フランスのルシアン・ローラン(Lucien Laurent)だった。

――グループ3のルーマニア対ペルー戦で、ペルーの主将マリオ・デ・ラス・カサス(Mario de las Casas)がW杯史上初の退場者となった。W杯史上最少となる300人の観客の前で、ペルーは1-3で敗れている。

――アルゼンチンが6-3でメキシコを下し、W杯で6得点を記録した初めてのチームとなった。ギジェルモ・スタービレ(Guillermo Stabile、アルゼンチン)がW杯で初めてハットトリックを達成した選手となった。

――その試合では、ボリビアのウリセス・サルセド(Ulises Saucedo)主審がW杯で初めてのPKを取った。実際のところ、主審は5回PKを取ったが、そのうち3回は選手が失敗した。

 W杯で初めてPKを失敗したのはアルゼンチンのフェルナンド・パテルノステル(Fernado Paternoster)で、初めて成功したのはメキシコのマヌエル・ロケタス・ロサス(Manuel Rocquetas Rosas)だった。

――初めてのW杯決勝を担当したのは、ベルギーのヨン・ランゲナス(John Langenus)主審だった。

―ウルグアイのパブロ・ドラド(Pablo Dorado)がW杯決勝での初めての得点者となった。初優勝チームの主将はホセ・ナサシ(Jose Nasazzi)、指揮官はアルベルト・スピッキ(Alberto Supicci)監督だった。(c)AFP