【11月12日 AFP】台風や地震、噴火などを息をのむような至近距離から撮影することを仕事にするカメラマン、ジェームズ・レイノルズ(James Reynolds)氏(30)にとって、危険は仕事と隣り合わせだ。

 だが、2011年の東日本大震災を含めアジアの最悪の自然災害を数多くフィルムに収めてきたレイノルズ氏は、柔らかな物腰で、台風30号(アジア名:ハイエン、Haiyan)がこれまでで最も恐ろしい出来事だったと語った。

「こんなの、今まで追いかけたことがなかった。暴風雨の猛威、そしてこれほどの強力な自然現象が人口20万人の都市を直撃した結果もたらした被災の悲惨さ、その両方の意味で想像を絶するものだった」

 レイノルズ氏はこれまでに35以上の台風を目の当たりにしてきた。「科学者らは、上陸した台風として史上最強の候補に挙がっていると言っている。私の個人的な観点では、私が目撃した中で最も悲惨な出来事だった」

■風速87.5メートル、ごう音と振動

 香港を拠点とするレイノルズ氏とスタッフ2人は、台風が直撃する何日も前にフィリピンのマニラ(Manila)に入り、タクロバン(Tacloban)に拠点作りをした。台風を追跡してきた長年の経験から、頑丈なコンクリートで建設され、台風上陸後の洪水で浸水することのない高さを持つホテルをレイノルズ氏は選んだ。

 ホテルのバルコニーから撮影された映像は、風速87.5メートルに達する猛烈な風が吹き、太平洋から豪雨が襲う中で広がる被害の様子を捉えている。撮影に使っていたカメラは壊れ、急きょ小型のGo-Pro(ゴープロ)カメラでの撮影に切り替え、最後はiPhone(アイフォーン)、で撮影を続けた。

「風が叫び、耳をつんざくようなごう音だった。ホテルの側壁に大きな物体が当たり、建物が揺れるのを感じられるほどだった。外にいてこの暴風雨に直撃した人は、即死だったのではないか」

 海水が流れ込み、道路の冠水が始まったころには、カメラマンたちは救助隊員になっていた。ホテルの1階が浸水し、滞在していたお年寄りが閉じ込められたのだ。カメラマンたちはマットレスを即席のボートにして、お年寄りたちを階段の吹き抜けまで運んだ。

■「まるで津波が押し寄せたかのようだった」

「私たちのホテルでは全員が無事だった。だが翌日、ホテルの周辺では多数の遺体が見られた。台風を乗り切れなかった人々だった」

「私たちは沿岸部に急いだ。その地域はほぼ壊滅だった。まるで津波が押し寄せたかのようだった。ショックを受けた住民が、わずかな物でも何か残っていないかを確認するように、がれきになった自宅の間をくまなく探し歩いていた」

「老若男女誰もが自分の身を守ろうとしていた。必死になった人々が食料や水、医薬品を略奪するのを目撃した」

 スタッフの一人が洪水の中で脚を深く切ったため、レイノルズ氏のチームは予定より早く、フィリピンを後にした。(c)AFP/Emily Ford