【8月19日 AFP】35歳で死亡したオーストリアの作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の死因は連鎖球菌性咽頭(いんとう)炎からの合併症だったかもしれないとするオランダ研究チームの研究結果が18日、米学術誌「内科年報(Annals of Internal Medicine)」に発表された。

 モーツァルトの死因については、毒殺、腎臓疾患、さらには生か加熱の不十分な豚肉を食べたことによる寄生虫性疾患である旋毛虫症などさまざまな説が流れてきた。

 しかしアムステルダム大学(University of Amsterdam)のリチャード・ジーガーズ(Richard Zegers)氏を中心とする研究チームは、1791年11月から1972年1月までのウィーンの死亡記録を調べ、モーツァルトはウィーン(Vienna)で連鎖球菌性咽頭炎に感染し、1791年12月に死亡したと結論付けた。

 モーツァルトの死亡証明書によれば、死因は発疹を伴う熱の一種だという。しかし研究チームは、この診断結果は病名というよりは症状を説明したものだと解説した。

 さらに炎症性の発熱だったという目撃者の話があり、これは連鎖球菌性咽頭炎の症状と一致すると研究チームは主張している。

 最終的には連鎖球菌性咽頭炎にみられるひどい腫れ物、けいれん、発熱、発疹などを引き起こし、急性腎炎である糸球体腎炎へとつながった。

 義妹のゾフィー・ハイベル(Sophie Haibel)は30年後、腫れ物がひどくてモーツァルトは寝返りを打つこともできなかったと語っている。しかし意識はあり、死ぬまで精神状態は良好だったという。

 同研究チームは可能性は低いとしながらも、死因が猩紅熱(しょうこうねつ)だった可能性もあるとしている。この病気にかかったのはわずか2週間だった。

 モーツァルトは最後の数か月、創作に励み、オペラ「魔笛(The Magic Flute)」を完成させ初演を指揮し、温泉を訪れ、クラリネット協奏曲を作曲した。さらに、未完に終わったが「レクイエム(Requiem)」の作曲にも取りかかった。

 その可能性はないとされて久しいが、ライバルだったイタリア人作曲家アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)によって毒殺されたのではないかとも言われた。サリエリはモーツァルトの才能を特にねたんでいたと考えられている。(c)AFP