【1月18日 AFP】まもなくホワイトハウスを「卒業」し、歴史の表舞台から去るジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領は、在任中に名言から「迷言」まで数々の言葉を残した。「ブッシュイズム(Bushism)」と呼ばれ、世界中で取り上げられた彼の言葉の一部を振り返る。

■光った「テキサス・カウボーイ」ぶり

-「彼らはわたしのことをミスアンダーエスティメイト(「誤過小評価」?)したんだ」-2000年11月6日、アーカンソー(Arkansas)州ベントンビル(Bentonville)で。(ミスアンダースタンドは誤解する、アンダーエスティメイトは過小評価するという意味の単語だが、ミスアンダーエスティメイトという単語はない)

-「今日ここに集ってくれた友人、ビル・フリスト(Bill Frist)上院議員に感謝します。あ、みなさんにお教えしたい。彼はテキサス・ガールと結婚したのです。カーリン夫人もここにいます。彼女はウェスト・テキサス・ガールです、わたしと同じ」-2004年5月27日、テネシー(Tennessee)州ナッシュビル(Nashville)で。

■戦争

-「われわれが戦争について語っているとき、それは本当は平和について語っているのだと、みなさんに知ってもらいたい」-2002年6月18日、ワシントン(Washington D.C.)で。

-「敵は革新的でリソースも豊富だが、われわれだってそうだ。敵はわが国に危害を加える新たな方法を考えるのをやめようとしないが、われわれだってそうだ」-2004年8月5日、ワシントンで。

-「そう、2000年の大統領選でここへ来たとき、わたしは戦争大統領になりたいと言った。戦争大統領になりたがる大統領なんて、わたし以外に誰もいない」-2006年10月26日、アイオワ(Iowa)州デモイン(Des Moines)で。

■外交

-「1世紀半をかけて、米国と日本は現代における最も偉大かつ永続的な同盟関係を構築してきました」-2002年2月18日、東京で。 -「友好国の国土で一晩ぐっすり眠ることを楽しみにしている」-2005年6月29日、デンマーク訪問についてワシントンで。

-「サンキュー、聖下。すごいスピーチでした」-2008年4月16日、ワシントンでローマ法王ベネディクト16世( Benedict XVI)に。

-「私は北朝鮮人たちに誘拐された子どもの母親と会ったことを覚えている」-2008年6月26日、ワシントンで。

■環境

-「人類と魚類は平和裏に共存できる」-2000年9月29日、ミシガン(Michigan)州サギノー(Saginaw)で。

■医療

-「あまりに多い医者の商売が立ちゆかなくなっている。あまりに多い産婦人科医たちが、全国の女性に対して彼らの愛情を発揮できないでいる」-2004年9月6日、ミズーリ(Missouri)州ポプラブラフ(Poplar Bluff)で。

-「いかなる形であれ、クローン技術を実験室から出すことを認めるというのは、合衆国上院にとって誤りなのではないか」-2002年4月10日、ワシントンで。

■教育

-「あまり問われることはないが、わが国の子どもたちは果たして学んでいるのだろうか?」-2000年1月11日、サウスカロライナ(South Carolina)州フローレンス(Florence)で。

■法律

-「この国に違法入国する者たちは、法に違反している」-2005年11月28日、アリゾナ(Arizona)州ツーソン(Tucson)で。

■重要発言

-「これらの行為をしたテロリストと彼らをかくまう者たちを、われわれは区別しない」-2001年9月11日、米同時多発テロ当日の談話、ワシントンで。

-「昨日わが国に対して実行された入念な、そして破壊的な攻撃は、単なるテロ行為ではない。これは戦争だ」-2001年9月12日、ワシントンで。

-「わたしは正義を求める。古い西部劇のポスターにあったのを思い出す。『お尋ね者:生死を問わず』」(米同時多発テロの犯人に触れて)-2001年9月17日、ワシントンで。

-「すべての地域のすべての国が今、下さなければならない決断がある。われわれの側につくか、テロリストの側につくかだ」-2001年9月20日、ワシントンで。

-「こうした国と、テロリストたるその同盟者たちが悪の枢軸を成し、世界の平和に脅威を与えようと武装している」-2002年1月29日、ワシントンで。

-「米国民のみなさん。イラクでの主な戦闘活動は終わりました。独裁者は滅び、イラクは自由になったのです」-2003年5月1日、カリフォルニア(California)州サンディエゴ(San Diego)沖の米海軍原子力空母エーブラハム・リンカーン(USS Abraham Lincoln)艦上でのイラク戦争戦闘終結宣言。

-「こんな状況だから、われわれを攻撃できるのだと感じているやつらもいる。しかし、わたしの答えは、やれるものならかかってこい、だ」-2003年7月2日、イラク駐留米軍に対するゲリラ攻撃についてワシントンで。

-「わたしが決定者だし、わたしは最善の決定を下す。ドン・ラムズフェルド(ドナルド・ラムズフェルド、Donald Rumsfeld)にとって最善なことは、国防長官を続けることだ」-2006年4月18日、ワシントンで(イラク戦争の責任を追及し、国防長官辞任を求める声に対し)。(c)AFP