【3月22日 AFP】(一部更新)ミャンマー中部メティラ(Meiktila)で20日、イスラム教徒が経営する金製品の店で始まった口論から仏教徒とイスラム教徒の衝突が起き、市街地を焼く暴動に発展している。各所で黒煙が上がり、路上に焼け焦げた遺体が転がるなか、暴動は22日になっても収束せず、今年に入って最悪の宗教間衝突となっている。ミャンマー政府は22日、メティラに非常事態宣言を出した。

 AFP記者は21日夜、放火されたモスクや住宅から炎と刺激臭がする煙が空に上がるのを目撃した。焼け焦げたオートバイの脇に黒焦げになった遺体が横たわっていた。夜が明けて外出が禁止されている時間帯が過ぎると、怒りをあらわにした男たちの集団が再び路上に繰り出してきた。

 AFP記者ら報道関係者が暴徒に取り囲まれ、治安部隊に救出される場面もあった。警察官によると、地元警察当局には21日、暴徒への発砲許可が下りたという。

 ミャンマーの国営メディアは22日、この暴動でこれまでに僧侶1人と男性3人、女性1人の計5人が死亡し、40人近くが負傷したと伝えた。一方、野党国民民主連盟(National League for DemocracyNLD)のウィン・テイン(Win Htein)議員(メティラ選出)はAFPの取材に、乱闘で25人ほどが死亡したと述べた。同議員によれば、暴徒たちはナイフやこん棒を手に路上をうろついており、地元のイスラム教徒たちはサッカースタジアムに、仏教徒たちは寺院にそれぞれ避難しているという。

 地元の警察官はAFPの取材に、3日間で少なくとも20人が死亡したことを確認したが、死者数はもっと多い可能性が高いと述べた。

 国際社会からは暴力の即時停止を求める声が相次いで上がっている。

■昨年から続く宗教間衝突、政府の頭痛の種に

 ミャンマーのイスラム教徒は主にインド、中国、バングラデシュから来た人たちの子孫。ミャンマーはこの30年ほど国勢調査を実施していないが、およそ6000万人の人口のうち多数は仏教徒で、イスラム教徒は4%程度と推定されている。

 ミャンマーには1948年までの英植民地時代にインドから契約労働者として多くのイスラム教徒が入ってきた。しかし、ミャンマー国内のイスラム教徒は完全には社会に溶け込んでおらず、宗教間対立は軍政からの迅速な民政移行を目指すミャンマー政府にとって頭の痛い問題となっている。

 ミャンマーでは昨年、西部のラカイン(Rakhine)州で仏教徒とイスラム教徒が衝突し、昨年のうちに少なくとも180人が死亡し、11万人以上が家を追われた。

 ウィン・テイン議員はメティラの人口約8万人のうちイスラム教徒は約3万人だと述べつつ、「自分が生きてきた中でこんな衝突は経験がない」と指摘した。国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は、ラカイン州での宗教間の緊張の高まりが波及してきたとの見方を示している。(c)AFP