【9月3日 AFP】10年前の9月11日の朝、F16戦闘機のコックピットに乗り込もうとしていた州兵のパイロット、ダン・ケーン(Dan Caine)少佐には約5キロ先のペンタゴン(国防総省本部庁舎)から立ち上る黒煙が見えた。

 ケーン少佐は、予想もしなかった命令を受けて気持ちを引き締めていた。ハイジャックされて首都に向かっている旅客機を撃墜せよという命令だった。

 米メリーランド(Maryland)州アンドリューズ空軍基地(Andrews Air Force Base)を拠点とする州兵のパイロットたちにとっていつもと変わらない訓練日になるはずだった。そこへ下士官が入ってきてこう告げた。「世界貿易センターに航空機が突入した」

 パイロットたちが集まるラウンジで、当時33歳だったケーン少佐はニューヨーク(New York)からのニュース映像を凝視した。摩天楼のひとつに空いた穴は、小型機が衝突してできたにしては大きすぎた。すると画面の右側から、もう1機が視界に入って来たと思うと、そのまま第2のビルへ突っ込んでいった。ラウンジは静まり返った。

■「国家指揮最高部を防衛せよ」

 混乱を極める中、ホワイトハウスは軍の指揮系統を飛び越えて州軍に直接、「離陸できるものは全てすぐに離陸させろ」と連絡してきた。隊の指揮官だったデビッド・ウェアリー(David Wherley)准将は緊急ブリーフィングで、ワシントンD.C.(Washington D.C.)にいる大統領ら「国家指揮最高部」を更なる攻撃から防衛せよというホワイトハウスの命令をケーン少佐らパイロットたちに伝えた。

 交戦規定は「とてもリベラルだった」と、現在は43歳の大佐になったケーン氏は振り返る。明確な警告に従わない航空機はすべて撃ち落せということだった。重い使命だった。

 米国中が大混乱に陥ったこの日、ハイジャックされた旅客機を撃墜しろという命令を受けたのはケーン氏の飛行隊だけだったことが、米同時多発テロ独立調査委員会の調査で明らかになっている。
 
 弾薬担当の「若造たち」は、汗だくになって人生で初めてF16にミサイルを積み込んでいた。「あいつらの恐怖の表情を覚えている。だがそこには、無限の献身の気持ちがあった」。エンジンをかけると「無線はめちゃくちゃだった」。ホワイトハウスや連邦議会へ別のハイジャック機が向かっていないかと民間と軍の管制菅たちが躍起になる中、無線通信は混乱を極めていた。

■「撃つか、撃たないか」 迫られた究極の判断

「離陸後に私のレーダーに最初に映った機影は、議事堂の北7マイル(約11キロ)、高度300フィート(約90メートル)の位置だった。撃つか、撃たないか? アフターバーナー(再燃焼装置)をふかし、まっすぐそこへ向かった。気分が悪かった。そこに人がいると思うと、ものすごい恐怖を感じたのだと思う」

 しかし怪しい機影は、ワシントンD.C.周辺が飛行禁止空域になったことを知らずに進入してきた医療救助隊のヘリコプターだと分かった。同じく飛行禁止命令を知らずに、警察のヘリや民間旅客機など数十機が首都に向かっていた。

 ケーン氏は、他の3機のF16戦闘機と、バージニア(Virginia)州から駆けつけたF15戦闘機4機と共に、接近する航空機に進入しないよう警告してまわった。「数時間はどろどろに溶けたチョコレートのような混乱状態だった。最初の20分間は、私の飛行高度が1000フィート(約300メートル)を超えることはなかったと思う」

 引き返すようにという要請にすぐに応じない機体があると「われわれは、低高度にいる彼らのまん前に飛んでいった。文字通り目の前にF16が現れると、説得力は大きい」

 しかし、ハイジャック犯と乗客が格闘した末、ワシントンD.C.から約20分離れたペンシルベニア(Pennsylvania)州に墜落したユナイテッド航空(United Airlines)93便には、最初は気付かなかったという。「気付いたとして、私に何かできただろうか。私には分からない」

 無数の航空機を飛行禁止空域から排除した後、民間航空機がすべて着陸させられた午後には、ようやくケーン氏たちの任務にゆとりが出てきた。徐々に応援も増え、周辺上空には空中給油機2機を含む数十機の軍用機が飛行するようになった。緊張に包まれた任務を終え、6時間後に着陸したケーン氏が帰宅したのはさらに2日後だった。

 それから数週間と経たぬうちに、ケーン氏は新しい「テロとの戦い」の最前線にいた。アフガニスタンのトラボラ(Tora Bora)渓谷で国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に「爆弾を落とす」ための前線航空管制官として。(c)AFP/Dan De Luce

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