【3月1日 AFP】第1次世界大戦中に従軍した米国の元兵士で唯一存命していたフランク・ウッドラフ・バックルズ(Frank Woodruff Buckles)さんが27日、米ウエストバージニア(West Virginia)州チャールズタウン(Charles Town)の自宅で死去した。110歳だった。

 遺族によるとバックルズさんは27日朝、自然死で「安らかに」息を引き取った。110歳の誕生日を2月1日に迎えたばかりだったが、昨年末ごろから健康状態が悪化していたという。

 バックルズさんは亡くなる前の数年間を、ワシントンD.C.(Washington D.C.)に第1次世界大戦戦没者を追悼する国立の記念碑を作ろうとする運動に費やし、2009年にはこれに関連し上院委員会で証言もした。

■入隊資格年齢未満で潜り込む

 バックルズさんは1901年、米ミズーリ(Missouri)州に生まれた。1917年に米国が第1次世界大戦に参戦すると、バックルズさんは新聞で戦闘に関する記事を読んですぐに軍に入隊しようとした。まだ16歳だったため海兵隊と海軍には入隊を断られたが、陸軍の新兵募集担当官に年齢をごまかすことに成功し、入隊した。

 第1次世界大戦中、従軍した米国人は約470万人で、ほとんどが米国遠征軍(American Expeditionary Force)として船で欧州へ送られた。最初から前線へ行きたいとうずうずしていたところ「物知りな年配の軍曹が、今すぐフランスへ行きたければ救急隊に入るといいと教えてくれた」と、2001年に米議会図書館(US Library of Congress)のインタビューに答えている。

 バックルズさんは1917年12月、タイタニック(Titanic)号の遭難客を5年前に救助したという船に乗り込んで欧州へ向かい、英国に到着した。英国では「サイドカー、その次にフォード(Ford)製の救急車両を運転した。待った甲斐があり、自分が所属する隊に追いつこうとする将校に着いて行く役を命ぜられ、フランスへ渡った」。しかし、バックルズさんは伍長に昇進したものの、前線に行きたいという願いが叶うことはなく、戦後は捕虜の護衛隊の一員としてドイツへ戻った。

 第1次大戦終了後、退役軍人に対する米社会の反応は分かれていた。戦死した兵士は表彰されたが、生き残った兵士に対する支援はほとんど無かった。従軍したことで受け取った恩恵は、YMCAの健康クラブの無料会員権だけだと、バックルズさんは語っていた。

■第2次大戦中、日本軍の捕虜にも

 米国の海運会社に職を得たバックルズさんは1941年、フィリピンに赴任した。真珠湾攻撃が起こり、米国が第2次世界大戦に参戦して数週間後の1942年1月、かつて従軍を願った前線となったマニラ(Manila)で日本軍の捕虜となり、その後3年間を捕虜収容所で過ごした。

 第2次大戦後、帰国したバックルズさんは結婚し、ウエストバージニア州に畜産農場を買った。米議会図書館のインタビューでバックルズさんは「このあたりの人たちはつい最近まで、わたしが第1次大戦に従軍していたことを誰も知らなかった」と述べている。

 多くの人にその事実が知られたのは1999年、フランスのジャック・シラク(Jacques Chirac)大統領(当時)からフランスの最高勲章「レジオン・ドヌール勲章(Legion d'honneur)」を贈られたためだった。2008年3月には、ホワイトハウスと国防総省に招かれ、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)前大統領からも表彰を受けた。

 夫人のオードリー(Audrey)さんは1999年に亡くなっており、農場は娘のスザンナ(Susannah)さん夫妻が後を継いでいる。(c)AFP/Carlos Hamann