【6月8日 AFP】中国で1989年6月4日に起きた天安門事件当時、首相だった李鵬(Li Peng)氏(81)の日記が22日、香港(Hong Kong)で出版される。

 天安門事件では民主化を求める学生を治安部隊が武力で鎮圧し、数百人に上る学生が犠牲となったが、李氏の日記には、天安門事件への対応を協議する1989年4月15日から6月24日までの共産党幹部の会合の様子が詳細に記されている。その内容も、これまでに漏えいした天安門関連の政府記録と一致しているという。  

■「多少の流血への覚悟も必要だ」

 出版前に明らかになった日記の抜粋によると、当時の最高実力者だった鄧小平(Deng Xiaoping)氏は天安門事件への対応では流血も辞さないとの意志を示していたと李鵬氏は記している。

 天安門事件では、李鵬氏は鄧氏に命じられて戒厳令を敷き学生の抗議運動を武力鎮圧するなど強硬姿勢を貫いたと批判されてきた。日記によれば、事件の約3週間前の5月19日に行われた共産党幹部の会合で、鄧氏はすでに「混乱を鎮静化させるには戒厳令を発令すべきだ」と述べており、さらに「犠牲は最小限にとどめなければならないが、多少の流血への覚悟も必要だ」と発言している。

 日記の出版元、新世紀出版社(New Century Press)の鮑樸(Bao Pu)氏は李氏の日記の内容から、「鄧小平氏は天安門事件で中心的な役割を果たし、当初から武力鎮圧を想定したいたことは明らかだ」と話す。日記の内容が真実であれば、鄧氏は苦渋の決断の末に武力行使に至ったとの、これまでの一般的な見解は間違いだったことになる。

■2004年にも出版試みる?

 鮑氏は天安門事件で失脚した趙紫陽(Zhao Ziyang)元総書記(2005年死去)の側近の息子で、趙氏の回顧録も出版している。

 現在、病床にあると伝えらる李氏は、事件直前の6月1日の日記のなかで「今、北京(Beijing)で起きている混乱は中華人民共和国の成立以来、最大のものだ」と懸念し、国家を混乱から救うためにも抗議運動は抑え込むべきだとの考えを示している。

 鮑氏によると、李氏は天安門事件に対する意思決定の全過程に関与しており、決定権も持っていた。李氏の日記でこれまで知ることができなかった政府側の事件への対応が詳細まで明らかにされているという。李氏は2004年に中国で日記を出版しようとしたが、中国共産党により阻止されたと報じられている。(c)AFP/Robert Saiget