【9月27日 AFP】(一部更新、写真追加)米国の俳優で慈善家としても知られるポール・ニューマン(Paul Newman)さんが26日、がんのため死去した。83歳だった。ニューマンさんの財団が27日、明らかにした。

 ニューマンさんの財団のロバート・フォレスター(Robert Forrester)氏は、「演技はポール・ニューマンの作品だった。カーレースは彼の情熱だった。家族と友人は彼の愛だった。そして彼の心と魂は、すべての人にとって世界がよりよい場所になるように捧げられていた」と語った。

■海軍から演劇の世界へ

 ニューマンさんは1925年オハイオ(Ohio)州で生まれた。第2次大戦では海軍に在籍したが、戦後は地元大学に復学。後に名門エール大学で演劇を学んだ。その後ニューヨーク(New York)に拠点を移し、演劇からテレビや映画に活動を広げた。

『傷だらけの栄光(Somebody Up There Likes Me)』(1956年)のボクサー役で成功を収めると、エリザベス・テーラー(Elizabeth Taylor)と共演した『熱いトタン屋根の猫(Cat on a Hot Tin Roof)』でアカデミー賞ノミネートを果たした。

 他の代表主演作品は、『栄光への脱出(Exodus)』(60年)、『ハスラー(The Hustler)』(61年)、『ハッド(Hud)』(62年)、『暴力脱獄(Cool Hand Luke)』(67年)、『タワーリング・インフェルノ(The Towering Inferno)』(74年)、『スラップ・ショット(Slap Shot)』(77年)など。

■キャリア後半でアカデミー賞受賞

 キャリア後半になってようやく、トム・クルーズ(Tom Cruise)と共演した『ハスラー2(The Color of Money)』でのエディー(Fast Eddie)の役でアカデミー主演男優賞を獲得した。もっともニューマンさんの受賞が全盛時代に出演した『ハスラー(The Hustler)』(1961年)での素晴らしい演技に対して、時を経て与えられたものと述べる辛口の批評家もいた。

 後半年ニューマンさんは、『アパッチ砦・ブロンクス(Fort Apache, the Bronx)』(81年)、『評決(The Verdict)』(82年)、『ノーバディーズ・フール(Nobody's Fool)』(94年)、『ロード・トゥ・パーディション(The Road to Perdition)』(2002年)に出演、冒険ファンタジーのアニメ作品『カーズ(Cars)』(06年)では声優に挑戦した。

■カーレーサー、リベラル派、6人の父

 映画の撮影をきっかけに自動車レースに興味を持ち、すぐに熱中。スポーツカークラブ・オブ・アメリカ(Sports Car Club of AmericaSCCA)のチャンピオンシップで4度勝利を収めるなどした。

 リベラル派として知られ、複数の選挙で民主党候補の選挙戦を応援。1970年代には当時のリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領が公表したブラックリストに名前が記載された。ニューマンさんは、「これまで得た最大の光栄」との感想を述べている。

 1度目の結婚および2度目となる女優ジョアン・ウッドワード(Joanne Woodward)さんとの結婚で娘5人と息子1人ををもうけた。息子スコットさんは1978年、薬物の過量摂取で死亡した。

 ニューマンさんは2007年、82歳にして「記憶に衰えを感じ、自信を失い、納得する演技が困難になる。俳優業にそろそろ終止符を打つべき時と考える」と述べ、事実上の引退を宣言した。(c)AFP