立春、万象新たに 旧来の風習が農の季節を促す
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【2月17日 東方新報】2月4日は、中国の二十四節気で最初にあたる「立春」だ。一年の始まりを告げ、春の到来と新たな循環の始まりを象徴する日とされている。
立春を迎える頃、気温や日照、降水量は徐々に増え始める。ただし寒さがすぐに和らぐわけではなく、中国の多くの地域では、立春はあくまで「春の入口」。本格的な春の暖かさを感じるまでには、まだ時間が必要だ。
それでも立春は、古くから農作業の節目とされてきた重要な日である。現在も貴州省(Guizhou)銅仁市(Tongren)石阡県では、立春の前後になると、伝統衣装に身を包んだ人びとが村々を巡る独特の風習が続いている。
人びとは青い衣をまとい、薄い布製の帽子をかぶり、「春官」と呼ばれる役に扮する。春官とは、もともと農の季節の到来を人びとに知らせる役目を担う存在で、各家庭を訪ね歩きながら、節気に沿った農作業の心得を語り、耕作を促す。
この風習は「説春」と呼ばれ、石阡では今も大切に受け継がれている。
この「説春」を40年以上続けてきたのが、農暦二十四節気に基づく石阡独自の「説春」の代表的な継承者である封武(Fwng Wu)さんだ。封武さんは家の門先に立ち、「唐の時代より春を届ける役目を仰せつかり、こちらに参りました」と口上を述べ、春牛と呼ばれる模型や、二十四節気を書き込んだ「春貼(立春や春節に合わせて貼る縁起物)」を手に家へ入る。
家の中では、農事や暮らしにまつわる言葉を韻文にして歌い上げる。家の主人が春貼を受け取ると「説春」は終わり、一軒あたり20分ほどかかるという。
文献によると、「春官」という呼び名自体は古く、国家の礼制を司る官職名に由来する。「説春」という風習は宋代の記録に見られるが、石阡では唐代に始まり、明・清代に広く行われたとされる。
封武さんは「家々を回って説春をするのは、農事を思い出してもらうと同時に、福を届ける意味もある」と語る。かつて、二十四節気が記された春聯は、農家にとって一年の作業計画を立てるための重要な目安だった。
石阡県文化館の館長・饒莉(Rao Li)氏によると、春官が歌う内容には、二十四節気の説明に加え、「漁・樵・耕・読」といった生活倫理を説く決まった章句も含まれる。演じ手には、伝統的な知識だけでなく、訪ねた家の状況に応じて言葉を選ぶ柔軟さも求められ、農作業の助言と文化的な教えを同時に伝える役割を果たしてきた。
時代とともに「説春」は都市部にも広がり、近年では防火など現代的な内容も取り入れられている。外国人留学生が学びに訪れることもあるという。石阡に限らず、中国各地では立春に合わせ、春耕の始まりを告げるさまざまな風習が今も続いている。
浙江省(Zhejiang)衢州市(Quzhou)では、「九華立春祭」で「鞭春牛(春耕の始まりを告げる「春牛打ち」の儀式)」という儀式が行われる。人が農耕の神に扮し、春牛と呼ばれる模型を鞭で打ち、風雨に恵まれた一年を願う。河南省(Henan)内郷県でも「打春牛」によって春耕の開始を象徴的に示す。
春牛とは、立春に農作業を促すための象徴的な道具で、木や紙、土などで作られる。これを打つ行為には、怠け心を払い、勤勉に農に向き合うという意味が込められている。
貴州師範大学(Guizhou Normal University)文学院の博士課程指導教員・何嵩昱(He songyu)氏は、「立春の風習は、農耕の知恵が今も生きた形で残る例だ」と話す。かつては社会全体の作業リズムをそろえる役割を果たし、現代では文化的な帰属意識や心の調整という価値が際立っているという。
立春には食の習慣もある。北方では「春餅」を食べて春を迎え、南方では春巻が親しまれる。「咬春(春をかじる)」と呼ばれるこの習わしには、新しい季節を体に取り込むという意味がある。
立春に酒を酌み交わしたり、外に出て春の気配を感じる「踏春」を楽しんだりする地域も多い。形は違っても、人びとが春の訪れに希望を託す気持ちは共通しており、こうした風習は今も生活の中で静かに息づいている。(c)東方新報/AFPBB News