【3月10日 東方新報】豊子愷の漫画作品は現実に近く、生活の趣をたっぷりと含み、世代を超えて人々の成長に寄り添ってきた。

■豊子愷が『漫画研究』創刊号のメインテーマに

 中国初の漫画学術誌『漫画研究』は、今年2月に創刊された。創刊号では「豊子愷芸術研究」をテーマに、10本以上の国内外の学術論文と多角的な観察を通じて、この日本と深い関係があった中国現代漫画の祖について、読者に再認識をさせている。

 この専門誌は、漫画学術研究の推進、漫画文化交流の促進、漫画芸術の創新と教育の普及を目指し、漫画芸術の伝承と発展に資する目的で刊行された。

『漫画研究』編集長で北京第二外国語学院の日本語漫画文化創造を専攻する陶冶(Tao Ye)教授は、東方新報(Toho Shinpo)の取材に対し、「中国の漫画はかつて輝かしい瞬間があり、多くの優れた作品が現れましたが、関連雑誌や書籍は漫画作品そのものに限られ、学術研究には及んでいませんでした。漫画が中国で大衆芸術として発展するにつれ、その支えとなる理論的な基盤が必要とされ、この分野の研究者も議論を戦わせることができるプラットフォームを渇望していました。また、漫画の学術研究は大学での漫画教育の推進にも役立ちます」と、その創刊の主旨を説明した。

 北京漫画協会は2021年に設立され、漫画の研究、教育、国際交流、普及を使命とする北京で初めての非営利社会組織で、陶冶教授がその初代会長だ。

『漫画研究』創刊号は、豊子愷の多方面の芸術分野の業績に焦点を当て、子どもの群像画の創作やさまざまな形の美学教育を紹介し、彼の芸術スタイルや実用的な美術思想の概要を紹介するものになっている。

 この学術誌は、漫画の近代化と現地化、書道芸術の特徴、伝統的な文人画や外国文化の影響などを分析・探求し、豊子愷研究に関する豊富な最新の情報を提供している。

 陶冶教授は「中国において漫画といえば豊子愷の名を外すことはできない。昨年は豊子愷の生誕125周年で、当時まだ準備中だった『漫画研究』創刊号のメインテーマとして豊子愷を取り上げた。1年間の論文収集や論文筆者と評価者双方の身元を伏せ客観性を保持する「ダブルブラインドレビュー」などを経て、最終的に15本の論文を収録した」と語った。

 論文の執筆者は「北京漫画協会」、各大学、漫画団体で漫画の創作、研究、教育に携わっている中国人と外国人の専門家や大学生たちだ。論文の要旨は中国語、英語、日本語の3か国語で掲載され、中国内外の漫画の研究・交流の学術的なプラットフォームとなっている。

■豊子愷の竹久夢二作品との出会い

 豊子愷は1921年に日本へ留学し10か月滞在したが、日本での生活は彼のその後の芸術の道に深い影響を与えた。『漫画研究』創刊号では、豊子愷の日本への思いと彼が吸収した日本的な要素について語られている。

 豊子愷の漫画スタイルで最初に思い浮かぶのは、日本の画家竹久夢二(Yumeji Takehisa)だ。彼ら2人は出会ったことはなかったが、竹久夢二の簡潔な筆使いのシンプルな絵は、若き豊子愷に大きな影響を与えた。

 豊子愷は日本で絵画を学び、西洋の素描写実技法の訓練を受けた。当時、資金不足で学費が支払えなくなった彼は自学自習に転じ、よく書店を訪れ、展覧会やオペラを観たり、コンサートに行ったり、図書館で過ごしたりすることで、日本の文化と芸術をさらに深く理解した。

 ある日、書店巡りの最中に竹久夢二の画集『夢二画集・春の巻』を偶然見つけた彼は、すぐにその画集に強く惹きつけられた。そして、竹久夢二の簡潔な表現手法と意味深い詩的な趣が、彼自身の芸術の道を開くきっかけとなった。

『漫画研究』では、豊子愷と竹久夢二は2人とも、子どもの内面世界の無邪気さや楽しさを表現した漫画作品を数多く創作したと紹介している。

 2人の漫画作品を比較検討し、その作品における「児童美」の形成と特徴を分析することは、児童を画材とする現代の挿入画や漫画の創作において、意義と価値を持つ。

 また、日本の古典文学や近代文学も豊子愷の創作に間接的な影響を与えたという事実に注目する研究者もいる。例えば、『源氏物語』へのこだわりや、夏目漱石(Soseki Natsume)のような日本の近代作家から彼が受けた影響のことだ。

 日本留学の間、豊子愷は日本語能力が向上するにつれ、日本文学に強い関心を抱くようになり、特に夏目漱石の作品を好んだ。漱石の『草枕』を読んで、この小説が描く俗世の悩みから逃れた自然で唯美的な世界を高く評価し、彼の芸術創作にさらなる深みを与えた。

 豊子愷の1枚の漫画作品『病車(Bingche)』は、漱石の文学作品に触れて創作されたものだという。彼自身がこの作品を次のように紹介している。

「1台の自動車を描いている。機械が壊れたか、ガソリンが無くなって動けなくなった。全て人の力で押したり引いたりして動かさなければならない。題して『病車』。それは元々一日千里を走り、人々が道を譲るものだった。しかし今は勢いを失い、一歩も動けず、逆に人々に押されて動かされているのだ」

■日本の学界の豊子愷研究の成果

『漫画研究』創刊号には、「日本の豊子愷研究の第一人者」と称される熊本大学(Kumamoto University)教授の西槇偉(Isamu Nishimaki)氏の論文も掲載されている。彼は日本で初めて「竹久夢二が『豊子愷漫画』のスタイルに重要な影響を与えた」という見解を示した研究者だ。

 彼は、豊子愷の創作内容が西洋美術の影響を受けているとも指摘している。例えば、豊子愷の作品における「労働」「子ども」「宗教」などの題材は、フランスのバルビゾン派の画家ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet)に触発されたもので、また豊子愷のユニークな筆法や構図はオランダの後期印象派の画家ビンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の影響を受けているという。

 西槇氏は「中国」「日本」「西洋」という三つの視点を中心に、中日両国の美術が西洋から受けた衝撃に対して示した反応の違いや中日両国の美術の相互作用について論じている。

 西槇氏は比較文学の視点から、豊子愷とその絵画の師・李淑同(Li Shutong)、小泉八雲(英語名:Lafcadio Hearn)とその日本の学生、夏目漱石と中勘介(Kansuke Naka)の師弟関係を考察して、夏目漱石以降の日本文学と豊子愷の作品との関係性を論じている。

 また思想論の面では、東京大学(Tokyo University)文学部の大野公賀(Kimika Oono)教授が、豊子愷の思想特性を分析し、その思想と中華民国時代の豊かな活動との関係について論じている。

「豊子愷の思想は、西洋の美学、仏教、儒教などの多様な要素が融合されたもので、その根底は心の平安や純粋さを大切にする『護心思想』にあると考えます。戦争を経験する中で、豊子愷の精神的支柱は宗教と芸術への信念でした。彼にとって芸術は、人々を苦難の世界からより高い境地へと導く重要な手段でした。豊子愷は『生活の芸術』を提唱し、個人の尊厳と自由を維持しながら、中国の民族国家としての基盤を固めることを目指していました」、大野教授はこのように見解を示している。(c)東方新報/AFPBB News