キッシンジャー氏、東南アジアに残した苦いレガシー
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【12月4日 AFP】米国のヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)元国務長官の死去に世界中から弔意が寄せられたが、同氏の死で東南アジアに広がったのは怒りだった。
キッシンジャー氏は、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)、ジェラルド・フォード(Gerald Ford)両政権時代に大統領補佐官(国家安全保障担当)、国務長官を相次いで務め、長きにわたって米外交に関与してきた。
しかし東南アジアでは、ベトナム戦争(Vietnam War)中に、当時のニクソン大統領と共にラオスとカンボジアへの爆撃を命じた人物として記憶されている。
■ラオス
「キッシンジャーの名前を聞くたびに、はらわたが煮えくり返る」。6歳の時に家族でラオスから退避したセラ・コウラブダラさんはそう語った。コウラブダラさんは現在、アドボカシー団体「レガシーズ・オブ・ウォー(Legacies of War)」を運営している。
カンボジアとラオスへの爆撃は、米政府がベトナム戦争の終結を模索する中、北ベトナムの動きを妨害する目的だったが、失敗に終わった。
コウラブダラさんの父親は、爆撃が「豪雨のようだった」と話している。
米国は200万トン以上の砲弾をラオスに落とした。これは8分ごとに1機が爆撃した計算になり、ラオスは1964~73年に人口1人当たり世界最多の爆撃を受けた国となった。
それ以来、ラオスでは不発弾によって少なくとも2万人が死傷している。
コウラブダラさんは「ラオスに存在する命を脅かす問題は米国の野蛮な決定の直接的な結果で、その主要人物の一人がキッシンジャーだ」と話した。
不発弾の撤去作業は今も続いている。
「ハンディキャップ・インターナショナル─ヒューマニティー・アンド・インクルージョン(Handicap International - Humanity & Inclusion)」は2006年以降、4万7000個近くの不発弾を処理した。同団体のレイニエル・カラバイン氏は「ラオスはいまも、世界で最もクラスター弾に汚染された国だ」と指摘する。