■共産主義時代の観光戦略

 1897年に出版された「ドラキュラ」は、恐怖小説に吸血鬼というジャンルを授けた。映画も数多く制作され、架空のドラキュラは大衆文化のアイコンとなった。

 ドラキュラの隠れ家として知られているのは、ルーマニア南部トランシルバニア(Transylvania)地方にあるブラン城(Bran Castle)だ。

 だが、この地方の街ブラショフ(Brasov)の国立公文書館のボグダン・ポポビッチ館長によると「1960年代まで、ルーマニア人自身は創作されたキャラクター(であるドラキュラ)と、ヴラド3世を結びつけていなかった」。

「共産主義時代に観光客を誘致するために、西側諸国の市場向けに宣言を始めた」という。

 ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceausescu)大統領が率いた共産主義政権は、吸血鬼神話を売り込み、ヴラド3世を国民的英雄として復活させようとした。

 逆説的だが、共産党政権は伝統的な宗教を一掃しようとする一方で、実在のヴラド3世と架空のドラキュラを慎重に区別した。

■血の涙

 実在のヴラド3世がブラン城に足を踏み入れることはなかった。だが、城を訪れる観光客が途切れることはない。

 1476年に自らが治めるワラキア人の陰謀で暗殺されたとされるヴラド3世の遺体の行方については、専門家の間で今も論争が続いている。

 最近イタリアで行われた直筆書簡の科学分析に基づく研究によると、ヴラド3世は目から出血するヘモラクリアという病に苦しんでいた可能性が示唆された。「血の涙を流す」といわれる疾患だ。この発見が、ドラキュラ神話をもうしばらく存続させるのに十分であることは間違いない。(c)AFP/Blaise GAUQUELIN with Ionut IORDACHESCU in Romania