【1月2日 AFP】オーストリア東部ブルゲンラント(Burgenland)州の丘に建つフォルヒテンシュタイン城(Forchtenstein Castle)。たいまつの明かりが揺れる暗い廊下を、黒いマントをまとった少年が駆け抜けていく。「彼はルーマニアの王子で、吸血鬼ではありません」とニクラス・シュエッツ君(10)は声を張り上げた。

 この城は15世紀ワラキア公国の君主で、串刺し公(Vlad the Impaler)とも呼ばれるヴラド3世(Voivode Vlad III)の子孫が所有していた。

 当時、ハンガリー王国の中でルーマニア語圏の属国だったワラキアを統治していたヴラド3世は、アイルランド人作家ブラム・ストーカー(Bram Stoker)の小説「吸血鬼ドラキュラ(Dracula)」のモデルとなった。

 この城には数少ないヴラド3世の肖像画も残されている。城の見学ツアーに参加した人々は創作上の魔物ではなく、歴史上に実在したヴラド3世について知りたがっている。

 本物のヴラド3世は、オスマン帝国と勇敢に戦った「人物として、いい意味で歴史に名を残してきた」とフロリアン・バイエル館長は語る。近年では「吸血鬼と歴史上の人物を区別しようという人が増えている」という。

■串刺しの「森」

 幼少期、オスマン帝国の宮廷でスルタン(イスラム王侯)の人質とされたヴラド3世は、後に反旗を翻した。幾度にもわたる激戦で無数のトルコ人捕虜を刺し殺し、人々を恐怖させた。このため、ヴラド3世の姿はしばしば串刺しにされた遺体の「森」の中に描かれた。

 しかし歴史家のダン・イオアン・ムレサン(Dan Ioan Muresan)氏によると、血なまぐさい評判とは裏腹に、ヴラド3世は「堂々とした体格の美男」で、ダイヤモンドで飾ったトルコ風の民族衣装カフタンに長い髪を垂らしていた。

 ヴラド3世はハンガリー国王のいとこと結婚し、「後に英王室につながる家系が生まれた」という。実際に英国のチャールズ国王(King Charles III)は、ヴラド3世の子孫だと何度も誇らしげに語っている。