【10月20日 Xinhua News】中国浙江省(Zhejiang)湖州市(Huzhou)呉興区にある同省最大の夏商(殷)時代の遺跡、毘山遺跡で新たな重要発見があった。関係者は浙江省における先秦考古学研究を大きく進展させたと評価している。

 遺跡では2014年以降、浙江省文物考古研究所と湖州市文物保護管理所が10年の計画で学術発掘調査を実施。発掘調査のリーダーを務める同研究所の閆凱凱(Yan Kaikai)館員によると、毘山遺跡は約5500年前の崧沢(すうたく)文化までさかのぼるが、今回の主要な成果は商代後期(紀元前1300年前後~紀元前1046年)に集中し、毘山を囲むように築かれた環濠が見つかった。環濠の内側は集落の中心分布域となっていた。

 閆氏は、集落中心部の面積は約33万平方メートルで、商代後期の格式の高い建築物の遺構が多く分布していると説明。中でも約3400平方メートルの干欄(高床建築)と土で築いた高殿からなる複合建築物の遺構は、礼制や儀礼における重要な場所と思われ、中国南部の商代後期の遺跡で発見された同類型の建築遺構の中で最大の規模を持つと指摘した。遺跡からは青銅器や印文硬陶、原始磁器(灰釉陶器)など商代後期の重要遺物も出土したという。

 毘山遺跡が発見されたのは1957年で、面積約100万平方メートル。現在は全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財)に指定されている。1995~2010年にインフラ建設に合わせた発掘調査が6回実施されており、崧沢文化から良渚(りょうしょ)文化の基台や墓葬群、建築基礎、灰坑、灰溝などが見つかり、青銅器や土器、卜甲(占い道具)や卜骨(ぼっこつ、占いに使う骨)などが出土した。

 商周時代の発掘調査に長年携わる同研究所の羅汝鵬(Luo Rupeng)研究員によると、江南地域では良渚文化の衰退後、銭山漾(Qian Shanyang)文化、広富林文化、馬橋文化が出現し、その後は後馬橋文化期に入ったが、後馬橋文化の様相は詳しく分かっていなかった。毘山遺跡は後馬橋文化としての代表性が極めて高く、同時期の文化の様相が格段に明確化された。長江流域の商代遺跡の発掘では三星堆遺跡(四川省<Sichuan>)や盤竜城遺跡(湖北省<Hubei>)、呉城遺跡(江西省<Jiangxi>)などの有名な遺跡が発見されているが、毘山遺跡における今回の重要発見も商代に属する。これは、当時の長江流域の住民たちが中原文化の影響を受けて多くの華麗な地域文化を生み出し、新たな高度発展期を迎えていたことを十分に証明している。(c)Xinhua News/AFPBB News