■変わる意識

 ラドワンカ地区にはありあわせの材料で作ったトタン屋根の家がひしめいている。すぐ近くの線路を貨物列車がごう音を立てて通り過ぎていく。この町でロマのエレノラ・クルチャルさん(54)は、昨年3月から誰でも利用できる避難民シェルターを運営している。

 ロマの教育支援団体「ブラゴ(Blago)」の代表を務めるクルチャルさんは当初、ウジホロド駅で支援を受けられなかったロマ避難民を助けるためにシェルターを始めた。しかし、ロマ以外の人も受け入れるようになった。「ロマがウクライナを防衛したり、ウクライナ人避難民を支援したりするのを見て、私たちに対する人々の意識は変わった」と話す。

 現在シェルターで暮らす70人の半数近くはマリウポリやベルジャンシク(Berdyansk)、ヘルソン(Kherson)から逃げてきたロマ以外の人だ。

 ヘルソンから来たベロニカ・コマルニツカヤさん(37)は、昨年11月から一家で滞在している。ウジホロドの宿泊施設が国内避難民でほぼどこも満員だったため、他に行き場がなかったという。「ロマの人たちと接したことがなかったから少し怖かった。でも何も問題ないことが分かった」と話した。

 母のリュディミラ・チュハランさん(62)は「彼らは私たちと変わらない」と言った。

 庭ではコマルニツカヤさんの息子、ニキタくん(10)がロマの子どもたちとサッカーをしていた。ニキタ君はロマ語も少し分かる。

 コマルニツカヤさんはシェルターの共同スペースでロマの子どもを膝に乗せてあやしながら「戦争が私たちの距離を縮めてくれた。今まではこんな風にできると思わなかった」と話した。

 一方、「ロマ女性の声」のビエロワさんは、和解は一時的な可能性があると慎重だ。

「戦争が終わっても、問題は山積みだ。ウクライナが欧州連合(EU)に加入したいのなら、ウクライナ人に人権と尊厳について教育しなければならない」と指摘した。(c)AFP/Peter MURPHY