【3月19日 AFP】イラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)政権崩壊につながった、米主導のイラク戦争開戦から20日で20年。戦争で疲弊した国民は、フセイン政権下の独裁のつらい記憶や数年に及ぶ暴力的な混乱について振り返った。

 AFPの取材に応じた人々は、爆発や銃撃、流血事件で失われたトラウマのような子ども時代や、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の恐怖について語った。国家の再建に向けた兆しを語る人もいたが、将来に向けて楽観的な意見はほとんど聞かれなかった。

■おびえていた子ども時代

 ズルフォカル・ハッサンさん(22)は、首都バグダッドのワシャシュ(Washash)地区での米軍のイスラム教シーア派(Shiite)民兵を狙った作戦で市民14人が死亡した2007年9月6日の戦闘について語った。

 まだ7歳だったハッサンさんと母親は、ヘリコプターや戦車を投入した米軍の作戦を受け、トイレに隠れられるよう真夜中に起き出した。「周りの家々は倒壊した」と当時を回想した。

 酷暑の夏に家族が寝室代わりに利用していた屋上のテラスに上がったところ、「爆発物の破片が落ちていて、マットは焼け焦げていた」という。

 市街戦や自動車爆弾、路上に散乱する遺体という光景が日常の中で育った同じ世代の人たちと同じように、ハッサンさんは淡々とした口調で言葉を継いだ。

「子ども時代はずっとおびえていた。夜中にトイレに行くのが怖く、誰も部屋で一人で眠れなかった」

 ハッサンさんは2019年、失政や汚職、インフラの劣化、失業に抗議する若者主導のデモに身を投じた。だが、「参加するのをやめた。希望を持ち続けることができなかった。自分のような若者たちが死んでいくのを目の当たりにしたが、われわれは孤立無援だった」と話した。

 デモ弾圧では数百人の命が失われた。「亡くなった者たちは、成果や変化も得られずに犠牲になっただけだった」

 幻滅した他のイラク国民の多くが海外に移り住んだが、ハッサンさんは移住を考えていない。さもなければ、「取り残されてしまった人はどうすればいいのか」と訴えた。